巡礼税を廃止することで、ヒンズーの人々の支持も得たジャラルディンは、イスラムとヒンズーを統合した真のインド皇帝として「アクバル」(大帝)の称号を贈られる。
歓喜の中で、皇帝のパレードがアグラ城下のバザールへと差し掛かった時、刺客の放った矢がジャラルディンに突き刺さる。
一命を取り留めたものの、矢の毒が広がって危篤状態のジャラルディン。
シーン変わって、悪党のシャリフディンに、次のような手紙が届く。
「私は、大変うれしい。
あなたの行動は、いくら賞賛してもしたりない。
デリーは目前だ。
サーディル アダッシ」
サーディル アダッシだって?
こいつ、イスラム法学者じゃないか。シャリフディンとグルだったのか!
実を言うと、サーディル アダッシが誰だったか、すっかり忘れていた。英語字幕で見たときだけでなく、翻訳中でさえも、イスラム法学者とシャリフディンが、この時点でグルだとは気が付かなかった。
インド人の名前、聞きなれない名前が多いので、すぐに忘れてしまう。特に、歴史物は登場人物が多いので、なおさらだ。
一方、スージャマルが身を寄せているアジャブガーでは、ラーナ王がスージャマルに、支援の打ち切りを表明する。
「我々は、あなたを助けた。
しかし、状況が変わった。
あなたの闘いは、今や、政治的な問題ではなくなり、家族内の確執になった。
アメールの王座を取り戻すなら、1 人でやってくれ」
もはや、ラーナ王もムガルに反旗を翻せる状況では、なくなっている。
アーグラ城では、懸命の治療が続く。ジョーダは、不眠不休でクリシュナ神に祈る。
ここでジャラルディンが死んでしまったのでは映画にならない。
「皇帝の意識が回復した!」
「神が命を与えてくださいました」
「皇帝は、もう大丈夫です」
ジョーダの献身的な看病のお蔭で、徐々に回復するジャラルディン。
それから何日か後、ジョーダがカリグラフィーを習っている。カリグラフィーとは、日本の書道のようなものだ。日本語字幕では、「書道」と訳したが、適切だったか。
そこへジャラルディンが登場。
「実に美しい。声に出して読んでくれないか」とジャラルディン。
「ご自分で、お読みください」とジョーダ。
ジャラルディンは、言いにくそうに、
「実を言うと、私は読み書きができない。
戦場では、読み書きを習うことができなかった。
だから、それを読んでくれ」
衝撃の告白に驚くジョーダ。
「妻は夫の名を、軽々に口にはできません」
自分の名前が書いてあると知ったジャラルディン。
「私の目を見ながら 言ってくれ」
まったく、よく言うぜ! 俺も、こんな台詞、言ってみたい。おっと、言う相手がいないか。
このあたり、2 人とも絶妙の演技! 映画を見るべし!
しかし、読み書きができないと聞いて、ジョーダだけでなく、俺も驚いた。
歌にもなっている将棋の坂田三吉ですら、将棋の駒に書いてある字と、自分の名前は読み書きできたぞ!
「あなたに尋ねたいことがある」とジャラルディン。ジョーダを別の部屋に連れて行く。
ジョーダを部屋の奥に立たせて、自分は窓の側へ。
「尋ねたいことって、何ですの?」とジョーダ。
「もう少し待ってくれ」と、窓の外を見ながらジャラルディンは答える。
やがて、太陽の光が窓から差し込み、部屋中が輝き始める。
VIDEO
「私を愛しているか」とジャラルディン。
「はい」
「あなたは?」
「心から愛している」
「In Lamhon Ke Daaman Mein」(時間の流れの中で)に乗せて、2 人の愛の高まりが表現される。これぞインド映画だ! 歌に興味のない奴は、インド映画を見るな。
この映画の字幕の翻訳では、この曲の歌詞が最も難しかった。曲のタイトルを「時間の流れの中で」としてみたが、適切だったかどうか。ジャラルディンとジョーダが身も心も結ばれるシーンなので、それなりの訳が必要なのだが、宝塚歌劇のような愛に満ち満ちた翻訳には程遠いかもしれない。
さて、曲が終了すると、シャリフディンの居城。
アジメールでラタン シン王子とラーナ王の 2 人に見放されたスージャマルが、いつの間にかシャリフディンの横にいる。
案の定、ジャラルディンに刺客を送ったのはシャリフディン。暗殺に失敗したからには、アメールを攻撃すると言い出す。そして、スージャマルに
「一緒にやってくれるか?」。
スージャマルは、首を縦に振る。
なんと、シャリフディンのもとには、イスラム法学者のサーディル アダッシもいる。
サーディル アダッシは、頭が古いだけで本当は善良な人間と思っていたが、この辺りでは、すっかり悪の一味になっている。
アメールに向かうシャリフディンの反乱軍と、それを阻止しようとするジャラルディンの皇帝軍は、メルタ近郊の砂漠で対峙する。この戦いでは、象ではなくラクダが登場。インドは広いから、連れて行く動物も、場所によって変えなければならない。インドの戦争は、大変だ。
アーグラ城では、シャリフディンの妻、つまりジャラルディンの妹のバヌーがジョーダに、この戦争を止めてくれるように依頼。
「夫はスージャマルを殺すつもりです。ジョーダ、この戦を止めて!」
大利根河原に出向く平手造酒(ひらてみき)のようなことを言って、ジョーダとバヌーも戦場に出発。ジョーダ役のアイシュワーリヤって、馬にも乗れるんだ。インドの女優って、すごい!
戦場では、両軍が停戦に合意したまま睨み合う展開になっている。
シャリフディン軍のテントの横を通りかかったスージャマルは、偶然耳にする。
「お前は皇帝軍に潜入し、皇帝を殺害するのだ。
皇帝を始末したら、次はスージャマルだ」
スージャマルは、暗殺計画をジャラルディンに知らせ、自らはシャリフディンのもとを離れようとするが、シャリフディンに見破られてしまう。
何とかシャリフディン陣営から逃げ出したスージャマルは、ジャラルディン陣営に馬で逃げ込もうとするが、追手が背後から迫り、矢を放つ。何本もの矢が、スージャマルの背に刺さる。
ジャラルディンの陣営に辿り着いたものの、瀕死のスージャマル。
「シャリフディンが刺客を送り込みました」と警告した直後、刺客がジャラルディンに襲い掛かる。幸いにも、刺客は簡単に取り押さえられる。
「ジョーダが悲しむ」とジャラルディン。
「彼女は、私を裏切った」とスージャマル。
「違う、スージャマル。あなたは誤解している」と、ジャラルディンはスージャマルに真実を語る。
「何だって!」とスージャマル。
そこへ、ジョーダが現れる。(タイミング良過ぎ。そこが映画の良いところ!)
「ジョーダ 私はあなたを誤解し、あなたの誠実さを疑った。
どうか私を許してくれ」
そう言って、スージャマルは息を引き取る。
そして、いよいよジャラルディンとシャリフディンの話し合いが始まる。
シャリフディンは言う。
「俺と戦え。
1 対 1 の勝負だ。
俺が勝ったら、インドは俺のものだ。
俺が負けたら、この国から永久に出て行く」
シャリフディンの決闘案をジャラルディンは受諾。
決闘の結果、シャリフディンの勝利・・・は絶対にない。
これにて、すべてが解決。
シャリフディンに付いたイスラム法学者のサーディル アダッシー サハーブは、メッカへの巡礼を命じられて失脚。これにより、ジャラルディンはムガルの全権力を完全に掌握。
ジャラルディンは、「この国では どの宗教を信じ、何を礼拝しようが自由だ」と宣言し、次のように謳い上げる。
「あらゆる宗教に敬意を払い、寛容であることは、インドの未来を輝けるものにするだろう!」
最後に、再びアミタブ バッチャンのナレーション。
「これが、ジョーダ アクバルの物語である。
2 人の愛の物語は、言い伝えには含まれていない。
2 人の愛が語られたこともない。
恐らく、その理由は
歴史が 2人の愛を重要視しなかったからだ。
しかし本当は、
ジョーダとアクバルは一緒に、
黙って、歴史を作ったのだ」
以上、約 3 時間 30 分の歴史大作、いかがだっただろうか。
興味ある人は、ぜひ映画を見て欲しい。
4月26日から始めて、今日が5月10日。約半月。速く進んだ方だ。
翻訳作業は、これで完了したわけではない。今の段階は、単に字幕ファイルを訳しただけ。次は、映像と合わせながら、状況や声の強弱に応じて、訳を修正していく。同時に、英語字幕の台詞の切り方を、日本語字幕の切り方に修正しなければならない。
しかし、ここまで来れば、もう一息。
あと数日で、この歴史大作を日本語字幕で見られる。