2012年5月28日月曜日

バックグラウンドでインド音楽

ここのところ、安い安い クソ安い仕事に追われていて、「ジョーダ アクバル」の日本語字幕がまだ完成しない。

仕事中は、ほとんど一日中、バックグラウンドでインド音楽を流している。ネットでインド音楽が無料で聞けるのは有難い。たとえば、インドのインターネット ラジオ Bollywood Ondemand で流しているインド音楽は、バッググラウンドで聞くにはピッタリだ。


ナレーションはヒンディー語。インド音楽を聞いていると、こいつら何と陽気なのだと思う。嫌な仕事もスイスイ進むし、小さな悩みなど、たちまち吹っ飛んでしまう。

仕事が忙しいので、本日はここまで。
こんな安い安い仕事、一刻も早く終わらせたい!


2012年5月21日月曜日

インド映画と著作権

私は、インド映画の DVD を買ってきて、それに日本語字幕を付けて新しい DVD に焼き直し、ときにはそれを何人かの友人に貸して、字幕の出来を評価してもらっている。友人と上映会を開くこともある。

「そんなことをしたら著作権法違反だ!」という声も聞く。

著作権侵害は親告罪である。著作権者が「お恐れながら」と訴え出ない限り、刑事責任が問われることはない。しかし、違法状態は避けなければならないので、インド映画に字幕を付け、それを友人に見せる行為が合法か違法かを考えてみることにする。

著作権法については ここに詳しい説明 があるが、合法といえるのは次のようなケースである。
  • 自分が買った DVD を友人に貸す。
    不特定多数に貸すと違法だが、特定少数に貸すのは合法。 料金を取って貸しても、貸し出し先が特定少数の場合は合法だ。
  • 自分が買った DVD を他人に売る。
    中古映画 DVD 市場が存在するので、見終わった DVD を売って良いのは当たり前。2000円で買った DVD を 2000円で売れば、無料で映画を見ることができる。できるだけ多くの人で映画サークルを作り、順に DVD を売って行けば、1 人 1 人は安く映画を見ることができる。これ、合法。
  • 自分が買った DVD をコピーする。
    コピー プロテクトを意図的に外すと違法。外さなければ合法。インド映画 DVD の多くは、コピー プロテクトはかかっていない。
  • 人から借りた DVD をコピーする。
    日本コンパクトディスク・ビデオレンタル商業組合によると、これも合法だ。個人的に楽しむためのコピーなら、レンタル ショップで借りた DVD のコピーも OK とのことだ。
  • コピーした DVD を人に貸す。
    個人で使用するためにコピーした DVD を、特定少数に貸すのは合法と思われる。最初から貸し出す目的でコピーした場合は、「私的使用目的の複製」に当たらないので、違法の可能性が高い。
結論: 非営利目的の個人使用や特定少数への貸し出しは合法なので、「字幕の出来を見てよ」と言って、作成した日本語字幕付き DVD を貸すのは合法だ。


違法ダウンロード

ネット上には、多くのインド映画がアップロードされている。1 本丸々アップロードされていることもある。これをダウンロードすることは違法なのだろうか?

ダウンロードせずに再生して見るだけなら完全に合法だが、日本語字幕のインド映画がアップロードされていることはまずない。日本語字幕のインド映画を見ようと思ったら、ダウンロードして自分で日本語字幕を付けるという作業が必要になる。

違法ダウンロードとは、違法にアップロードされた映像や音楽を、違法コンテンツと知りながらダウンロードする行為をいう。つまり、違法と認識せずにダウンロードした場合は、違法ダウンロードには当たらない。

そこで私は、ネットからダウンロードするときには、合法コンテンツだと信じてダウンロードするようにしている。アップロードした人は、インド映画の著作権者か、著作権者の承諾を得た人に違いないと信じてダウンロードするわけだ。

YouTube などの動画サイトには、著作権侵害などの不正行為を報告し、削除を求めるシステムが備わっている。アップロードから 1 年以上を経過している場合は、旧作品のアップロードをプロモーションと位置付けて、著作権者が黙認している可能性は十分にある。

つまり、YouTube などにアップロードされているインド映画は、直ちに違法コンテンツとは判断できず、合法と信じてダウンロードすることに何ら問題はないと思われる。

もちろん、ダウンロードしたインド映画に日本語字幕を付けて個人で楽しんだり、特定少数の友人に見せるのも合法だ。

ぶっちゃけた話し

インド映画に日本語字幕を付けて、何人かの友人に見せたところで、著作権者に損害を与えているとは思えない。インド映画不毛の日本にインド映画を普及させようとする行為ととらえてもらえば、インド映画界にとっては、むしろ利益と考えられるのではいだろうか。


2012年5月12日土曜日

インド映画『Bunty aur Babli』(バンティとバブリ)- 予告

まだ、「Jodhaa Akbar」(ジョーダ アクバル)も完成していない段階だが、次の予告。
次は、音楽最高のこれだ!


英語字幕または字幕なしでは何度も見たが(よかった!)、日本語字幕では見たことがない。つまり、細かいところはまったく分かっていないということだ。
ということで、次回はご機嫌な映画、2005年公開の「Bunty aur Babli」(バンティとバブリ)の字幕翻訳に挑戦する。公式 HP は ここ だから、予習怠りなく!

この映画、近所のインド カレー屋で上映してみたが、興味を示したのは外国人(多分、この映画を知っている)だけで、日本人は何の興味も示さなかった。やはり、日本語字幕なしではダメなのだろう。

2012年5月10日木曜日

インド映画『Johdaa Akbar』(ジョーダ アクバル)- その8

巡礼税を廃止することで、ヒンズーの人々の支持も得たジャラルディンは、イスラムとヒンズーを統合した真のインド皇帝として「アクバル」(大帝)の称号を贈られる。

歓喜の中で、皇帝のパレードがアグラ城下のバザールへと差し掛かった時、刺客の放った矢がジャラルディンに突き刺さる。

一命を取り留めたものの、矢の毒が広がって危篤状態のジャラルディン。

シーン変わって、悪党のシャリフディンに、次のような手紙が届く。
「私は、大変うれしい。
あなたの行動は、いくら賞賛してもしたりない。
デリーは目前だ。
サーディル アダッシ」

サーディル アダッシだって?
こいつ、イスラム法学者じゃないか。シャリフディンとグルだったのか!

実を言うと、サーディル アダッシが誰だったか、すっかり忘れていた。英語字幕で見たときだけでなく、翻訳中でさえも、イスラム法学者とシャリフディンが、この時点でグルだとは気が付かなかった。
インド人の名前、聞きなれない名前が多いので、すぐに忘れてしまう。特に、歴史物は登場人物が多いので、なおさらだ。

一方、スージャマルが身を寄せているアジャブガーでは、ラーナ王がスージャマルに、支援の打ち切りを表明する。
「我々は、あなたを助けた。
しかし、状況が変わった。
あなたの闘いは、今や、政治的な問題ではなくなり、家族内の確執になった。
アメールの王座を取り戻すなら、1 人でやってくれ」

もはや、ラーナ王もムガルに反旗を翻せる状況では、なくなっている。

アーグラ城では、懸命の治療が続く。ジョーダは、不眠不休でクリシュナ神に祈る。
ここでジャラルディンが死んでしまったのでは映画にならない。

「皇帝の意識が回復した!」
「神が命を与えてくださいました」
「皇帝は、もう大丈夫です」

ジョーダの献身的な看病のお蔭で、徐々に回復するジャラルディン。

それから何日か後、ジョーダがカリグラフィーを習っている。カリグラフィーとは、日本の書道のようなものだ。日本語字幕では、「書道」と訳したが、適切だったか。

そこへジャラルディンが登場。


「実に美しい。声に出して読んでくれないか」とジャラルディン。
「ご自分で、お読みください」とジョーダ。

ジャラルディンは、言いにくそうに、
「実を言うと、私は読み書きができない。
戦場では、読み書きを習うことができなかった。
だから、それを読んでくれ」

衝撃の告白に驚くジョーダ。

「妻は夫の名を、軽々に口にはできません」

自分の名前が書いてあると知ったジャラルディン。
「私の目を見ながら 言ってくれ」
まったく、よく言うぜ! 俺も、こんな台詞、言ってみたい。おっと、言う相手がいないか。

このあたり、2 人とも絶妙の演技! 映画を見るべし!

しかし、読み書きができないと聞いて、ジョーダだけでなく、俺も驚いた。
歌にもなっている将棋の坂田三吉ですら、将棋の駒に書いてある字と、自分の名前は読み書きできたぞ!

「あなたに尋ねたいことがある」とジャラルディン。ジョーダを別の部屋に連れて行く。
ジョーダを部屋の奥に立たせて、自分は窓の側へ。

「尋ねたいことって、何ですの?」とジョーダ。
「もう少し待ってくれ」と、窓の外を見ながらジャラルディンは答える。

やがて、太陽の光が窓から差し込み、部屋中が輝き始める。


「私を愛しているか」とジャラルディン。
「はい」

「あなたは?」
「心から愛している」

「In Lamhon Ke Daaman Mein」(時間の流れの中で)に乗せて、2 人の愛の高まりが表現される。これぞインド映画だ! 歌に興味のない奴は、インド映画を見るな。

この映画の字幕の翻訳では、この曲の歌詞が最も難しかった。曲のタイトルを「時間の流れの中で」としてみたが、適切だったかどうか。ジャラルディンとジョーダが身も心も結ばれるシーンなので、それなりの訳が必要なのだが、宝塚歌劇のような愛に満ち満ちた翻訳には程遠いかもしれない。

さて、曲が終了すると、シャリフディンの居城。
アジメールでラタン シン王子とラーナ王の 2 人に見放されたスージャマルが、いつの間にかシャリフディンの横にいる。
案の定、ジャラルディンに刺客を送ったのはシャリフディン。暗殺に失敗したからには、アメールを攻撃すると言い出す。そして、スージャマルに
「一緒にやってくれるか?」。
スージャマルは、首を縦に振る。

なんと、シャリフディンのもとには、イスラム法学者のサーディル アダッシもいる。
サーディル アダッシは、頭が古いだけで本当は善良な人間と思っていたが、この辺りでは、すっかり悪の一味になっている。

アメールに向かうシャリフディンの反乱軍と、それを阻止しようとするジャラルディンの皇帝軍は、メルタ近郊の砂漠で対峙する。この戦いでは、象ではなくラクダが登場。インドは広いから、連れて行く動物も、場所によって変えなければならない。インドの戦争は、大変だ。

アーグラ城では、シャリフディンの妻、つまりジャラルディンの妹のバヌーがジョーダに、この戦争を止めてくれるように依頼。
「夫はスージャマルを殺すつもりです。ジョーダ、この戦を止めて!」


大利根河原に出向く平手造酒(ひらてみき)のようなことを言って、ジョーダとバヌーも戦場に出発。ジョーダ役のアイシュワーリヤって、馬にも乗れるんだ。インドの女優って、すごい!

戦場では、両軍が停戦に合意したまま睨み合う展開になっている。

シャリフディン軍のテントの横を通りかかったスージャマルは、偶然耳にする。
「お前は皇帝軍に潜入し、皇帝を殺害するのだ。
皇帝を始末したら、次はスージャマルだ」

スージャマルは、暗殺計画をジャラルディンに知らせ、自らはシャリフディンのもとを離れようとするが、シャリフディンに見破られてしまう。
何とかシャリフディン陣営から逃げ出したスージャマルは、ジャラルディン陣営に馬で逃げ込もうとするが、追手が背後から迫り、矢を放つ。何本もの矢が、スージャマルの背に刺さる。

ジャラルディンの陣営に辿り着いたものの、瀕死のスージャマル。
「シャリフディンが刺客を送り込みました」と警告した直後、刺客がジャラルディンに襲い掛かる。幸いにも、刺客は簡単に取り押さえられる。

「ジョーダが悲しむ」とジャラルディン。
「彼女は、私を裏切った」とスージャマル。

「違う、スージャマル。あなたは誤解している」と、ジャラルディンはスージャマルに真実を語る。
「何だって!」とスージャマル。

そこへ、ジョーダが現れる。(タイミング良過ぎ。そこが映画の良いところ!)

「ジョーダ 私はあなたを誤解し、あなたの誠実さを疑った。
どうか私を許してくれ」
そう言って、スージャマルは息を引き取る。

そして、いよいよジャラルディンとシャリフディンの話し合いが始まる。
シャリフディンは言う。
「俺と戦え。
1 対 1 の勝負だ。
俺が勝ったら、インドは俺のものだ。
俺が負けたら、この国から永久に出て行く」

シャリフディンの決闘案をジャラルディンは受諾。

決闘の結果、シャリフディンの勝利・・・は絶対にない。
これにて、すべてが解決。
シャリフディンに付いたイスラム法学者のサーディル アダッシー サハーブは、メッカへの巡礼を命じられて失脚。これにより、ジャラルディンはムガルの全権力を完全に掌握。

ジャラルディンは、「この国では どの宗教を信じ、何を礼拝しようが自由だ」と宣言し、次のように謳い上げる。
「あらゆる宗教に敬意を払い、寛容であることは、インドの未来を輝けるものにするだろう!」

最後に、再びアミタブ バッチャンのナレーション。
「これが、ジョーダ アクバルの物語である。
2 人の愛の物語は、言い伝えには含まれていない。
2 人の愛が語られたこともない。
恐らく、その理由は
歴史が 2人の愛を重要視しなかったからだ。
しかし本当は、
ジョーダとアクバルは一緒に、
黙って、歴史を作ったのだ」

以上、約 3 時間 30 分の歴史大作、いかがだっただろうか。
興味ある人は、ぜひ映画を見て欲しい。

4月26日から始めて、今日が5月10日。約半月。速く進んだ方だ。

翻訳作業は、これで完了したわけではない。今の段階は、単に字幕ファイルを訳しただけ。次は、映像と合わせながら、状況や声の強弱に応じて、訳を修正していく。同時に、英語字幕の台詞の切り方を、日本語字幕の切り方に修正しなければならない。

しかし、ここまで来れば、もう一息。
あと数日で、この歴史大作を日本語字幕で見られる。

2012年5月8日火曜日

インド映画『Johdaa Akbar』(ジョーダ アクバル)- その7

イスラム帝国ムガルとヒンズー王国アメールの同盟のために政略結婚したムガル皇帝ジャラルディンとアメールの王女ジョーダ。初めは頑なに拒否していたジョーダも、ジャラルディンの誠実な態度を前に、少しずつ心がほぐれてくる。しかし、ジャラルディンの乳母マーハム アンガーが仕掛けた罠に落ち、ジャラルディンはジョーダを実家に帰してしまう。

ここまでが第一部。今回から第二部だ。

ジョーダはアメールに帰り、広大なアーグラ城に 1 人取り残されたジャラルディン。互いに寂しい思いをしている。このあたりも、インド映画らしく歌で表現し、成功している。

夜の宮殿。ジャラルディンの実母ハミーダが、マーハム アンガーの罠を見破った。
「あの男性は アジャブガーの王子ではなく、ジョーダの兄スージャマルです」とハミーダ。
「何だって! では、あの手紙は?」とジャラルディン。
「ジョーダは それを結婚前に書いた。でも送らなかった。マーハム アンガーは あの手紙を使って、あなたの心に毒を流し込んだのです」
「真っ赤な嘘です。私は何もしていない! 私は無実よ!」と声を荒げるマーハム アンガー。

「黙れ マーハム アンガー!」と、ジャラルディン。
「私の母に向って、大声を出すな!」

これで勝負ありだ。女官サリマの証言もあって、マーハム アンガーの悪事が暴かれる。
ムガルの実権を握ってきたマーハム アンガーは、この件で失脚。

「彼女を迎えに行きなさい」とハミーダ。
「しかし、彼女に会わせる顔がない」
「間違いを認めれば、愛は深まります。ジョーダは、きっと許してくれます」

そうなんだよ。インド映画では、正義は必ず勝つし、誠意と熱意は必ず通じるのだ。

ジャラルディンは、ジョーダを連れ戻すためにアメールを訪れる。
「私と一緒に戻ってくれないか」とジャラルディンはジョーダに言うが、
「私は、どこへも行きません」と拒否するジョーダ。

「あなたは国を征服する方法は知っている。でも国を治める方法を知らない」とジョーダはジャラルディンに言う。
「何を言いたい」
「あなたは 私を征服しただけで、心を射止めてはいないということ」

ジョーダは続けて、
「あなたは、人の心をつかむ方法を知らない。
人の心をつかむには、人の心を調べ、人のささやかな楽しみや悲しみを知り、人の信頼を得ることです。人の鼓動を感じてください! それができた日には、私の心も射止められるでしょう!」

ベッドの中央には、薄幕が引かれている。ジョーダが引いたもの。ジャラルディンは謝るが、簡単には許してもらえない。幕を隔てて別々に眠るジャラルディンとジョーダなのであった。


翌朝、ジャラルディンが目を覚ますと、ジョーダは既にいない。庭から剣を打ち合う音が聞こえてくる。ジョーダが剣の練習をしているのだ。

ジャラルディンはジョーダに向かって言う。
「私に勝ったら、アメールに残ってよい。しかし、私が勝ったら、私と一緒に帰るのだ」

そして、2 人は剣を交える。この映画の名シーンの 1 つだ。
翻訳途中の日本語字幕付きだと、下のようになる。


この勝負、途中で女官が声を掛けたために、ジョーダが破れてしまう。
「私の勝ちだ」
「不公平だわ。ギーラが突然声を掛けたから...」
「関係ない! 私が勝って あなたが負けた」
「さあ 出発の準備だ」
「私は行きません」
「そうか、強制はしない。
しかし、あなたはきっと戻ってくる。
必ず、あなたの心を射止めてみせる!」

ジャラルディンは、時としてこういう格好の良いことを言っては、ジョーダの心を引き付けるのだ。

ジョーダを残してアーグラ城に戻ったジャラルディン。お忍びで、城下のバザールに出かける。
付き人が「警護なしに、市場を歩くのは危険です」と言うが、
「人々の心をつかむには、人々の心を知らねばならない」とジャラルディン。

むむ、どこかで聞いた台詞。そうか、ジャラルディン、ジョーダの言葉が余程効いたか。

ジャラルディンは、バザールでムガルに対する不満の声を耳にする。
「俺たちは皇帝をインド人だとは思っていない」
「ムガルも他の奴らも、皆よそ者だ!」

ジャラルディンの付き人が言う。
「皇帝がインド ラジプートのアマルコートで生まれたのは知っているか?
その皇帝が、なぜよそ者なんだ?
お前たちと同じインド人じゃないのか?」

「皇帝がインド人なら、庶民に何をした?
庶民を思っているなら、なぜ巡礼税を廃止しない?」

ジャラルディンをよそ者扱いするヒンズー教徒たち。彼らの不満は巡礼税だった。
巡礼税とは、ヒンズー教徒が巡礼時に支払わなければならない税金のこと。

「これは許せない。神に祈る者から税を取るとは!」と、ジャラルディンは巡礼税の廃止を決意する。

宮廷の議場で、ジャラルディンは宣言する。
「今後、巡礼税は永久に廃止する」

しかし、イスラム法学者がこれに異議を唱える。
「決定の前に、なぜ私どもに相談していただけなかったのでしょう」

「これは政治上の問題だ。宗教上の問題ではない」とジャラルディン。

イスラム法学者の求めに応じて、大蔵大臣が発言する。
「皇帝、この決定は帝国の金庫に確実に影響を及ぼします」

ジャラルディンは言う。
「帝国の金庫とは何だ。
我々ムガルは他の侵略者とは違う。
インドの富を略奪して、金庫を満たしたりはしない。
ここは私の国だ。
誰にも略奪は許さない!
人々に 知ってほしい。
宗教に関係なく、私は人々を大切にする」

これこそ、ジャラルディンの真骨頂、イスラムとヒンズーの融和政策だ。

「情に流されることなく、賢明な判断をお願いしたい」とジャラルディンの前に手をかざすイスラム法学者。しかし、それが無礼な行為であることに気が付いて手を引っ込める。ジャラルディンが、イスラム法学者より上に立ち、ムガルの全権力を掌握した瞬間だった。

ジャラルディンの声が響く。
「本日より、巡礼税は永久に廃止する!
この命令を直ちに実行せよ!」

巡礼税の廃止により、ヒンズーの諸侯たちもムガルを信頼するようになり、各地の王が続々と挨拶に訪れる。この様子は、この映画のタイトル ソングでもある「Azeem O Shaan Shahenshah」(偉大なる皇帝陛下)で表現されている。


「インド皇帝妃ジョーダバイが、公謁殿にご到着」と声が響き、象に揺られてジョーダが現れる。

「帰ってまいりました。
皇帝はついに、私の心を射止めたのです!」

インドの諸侯たち、
「人々は、あなたを心から受け入れました。
よって、我々臣下より、お恐れながらお贈りいたします。
"アクバル"(大帝)の称号を。
ジャラルディン ムハンマド アクバル!」

歌は続く。
「あなたの宗教、それは愛。
あなたは、多くの人の心を射止めた。
賞賛の言葉では、語り尽くせない。
あなたは、すべての伝統の融合者。
我々は、あなたを心から歓迎する。
偉大なる皇帝陛下!」

ジャラルディンの理想が現実となり、イスラムとヒンズーの融合が図られたかに見えた。
ジャラルディンの行列がアグラ城下のバザールに差し掛かった時、、、

ここまでの上映時間、休憩を挟んで約 2 時間 40 分。
物語は、この後、さらに面白くなる。


2012年5月3日木曜日

インド映画『Johdaa Akbar』(ジョーダ アクバル)- その6

ジャラルディンとジョーダが、次第にいい関係になってきたところで、乳母のマーハム アンガーが動き出す。

ジョーダの荷物から毒の入ったビンと手紙が見つかり、それがマーハムのもとに届く。
「これを使って、あの女に罠を仕掛ける」とマーハム。

手紙は、アジャブガーに身を寄せているスージャマルに届けられる。
この手紙、ムガル皇帝との政略結婚から逃れようとして、スージャマル宛てにジョーダが書いたもの。結局は送らなかったのだが、なぜ、こんな手紙をいつまでも荷物の中に入れているのか。普通なら、直ちに処分するんでねぇの?

「お兄様、来て私を守って」

その手紙を受け取ったスージャマル、
ウダイガール国のラーナ王が「これは、お前をはめるための罠だ」と言うのも聞かず、ジョーダ救出に向かう。

一方、アーグラ城では、アドハム カーンとシャリフディン フサインが会っている。
ワルの 2 人が会っているのだから、ロクな相談じゃない。

「シャリフディン、問題が起きた。俺は逮捕されるかもしれない。
首相のシャムスディン アッカ カーンに、俺の税金横領がばれた」とアドハム。
「シャムスディンがトーダルマルに真実を伝える前に、奴を消すのだ」とシャリフディン。

トーダルマルって誰だよ? 初めて出てくる名前だ。

シャリフディンは首相シャムスディンを殺し、剣を携えたまま後宮に押し入る。
ジャラルディンの命をも奪うつもりだ。
しかし、武術の達人ジャラルディンの敵ではなく、あっけなく取り押さえられてしまう。

ジャラルディンが父のように慕っていた首相のシャムスディンが殺害されたことで、ジャラルディンの怒りが爆発。宮殿のテラスから投げ落とすという残酷な方法でアドハムを処刑する。
その光景を見ていたジョーダ。恐怖におののいている。

ジャラルディンは、アドハムを処刑したことをマーハム アンガーに報告する。
アドハムはマーハム アンガーの実子だ。しかし、マーハム アンガーは「悪いのはアドハムだ」と言って、ジャラルディンを許す。

そして、ジョーダの荷物の中にあった毒入りのビンを見せ、ジョーダには気を付けるようにと言う。
「彼女はアジャブガーの王子と婚約していた。しかし、あなたと結婚した。なぜ?
彼女は美しい妻として、ラジプートが送り込んだ暗殺者です」

夜中、城の外で密かに会っているジョーダとスージャマル。
「あなたからの手紙を読んで、飛んで来ました」
「手紙など送っていないわ」
「これが手紙だ。あなたのラーキーも」

ラーキーとは、兄弟姉妹の関係を祝うヒンズー教の祭りの日に、女性から男性に贈る吉祥の紐。贈られた男性は、その女性を兄妹として保護することを誓う。下のように手首に巻く。インドの歴史で、ラーキーを贈って男性に助けを求めた女性は、多くいたとのことだ。


ラーキーを贈られて、「助けて、お兄様」などと言われたら、スージャマルでなくとも救出に向かう! スージャマル、お前の気持ちはよく分かる。

「あなたが送ったのでなければ、この手紙はいったい誰が?」

そこへ、ジャラルディンの声が響く。
「奴を捕えよ」
ジャラルディンが見ていたのだ。

「これは、お前が仕組んだ罠だったのか!
私を裏切ったな、ジョーダ!」とスージャマル。

「ジョーダ、このラーキーは、常に手首に付けておく。
お前の裏切りを忘れないようにな!」
まったく、単細胞な奴だが逃げ足は速い。

後に残されたジョーダにジャラルディンは言う。
「奴は誰だ。アジャブガーの王子か。いずれにしても、お前は私を裏切った」
「裏切ったのは私ではなく、マーハム アンガーです!」
「彼女が裏切るはずがない。彼女は私の育ての親だ」
「愛や信頼が見つかり始め、幸せになりかけていたのに、なぜこんなことになるのでしょう。
反逆罪とおっしゃるなら、私の刑を教えてください」
「お前の家族のもとに帰れ!」

こうして、マーハムの罠に落ちたジャラルディンは、ジョーダを実家に帰してしまう。

ここまでの上映時間、約 2 時間。Intermission の文字が出て、やっと第 1 部が終了だ。
話しは面白くなってきたが、翻訳がなかなかはかどらず、疲れる。
少し、休憩だ!!

2012年5月2日水曜日

インド映画『Johdaa Akbar』(ジョーダ アクバル)- その5

夜、宮殿の広間から大声が聞こえてくる。
「なぜ 俺を大臣に任命しない!
理由を聞かせてもらおう」

驚いて見に来たジョーダ。お付きの何人かと、物陰から様子を見ている。
「皇帝に大声で話している人は誰?」とジョーダ。
「アドハム カーン。嫌な奴よ」と、宦官のニマット。

アドハム カーンは、ジャラルディンの乳母マーハム アンガーの息子だ。ジャラルディンとは兄弟同然に育った。ジャラルディンより年上で、マーハム アンガーとともに、ムガルの実権を握っていた。

ジャラルディンは、アンガーに向かって、
「なぜ アドハムを首相に任命しなければいけないのですか。
私は戦争の捕虜を虐待したり、無理に改宗を迫ることはないと宣言した。
しかし、アドハムはその命令を破った。アドハムの行為は、ムガルの恥だ」

すかさず、アドハムが言い返す。
「ヒンズー教徒と結婚することが、名誉なことなのか」

その言葉に、怒り爆発のジャラルディン。
「黙れ アドハム!
王女には敬意を払え。
彼女がインドの皇后だという事を忘れるな。
彼女に対する無礼は許さんぞ」

そう言われては、アドハムも引き下がるしかなかった。

このやり取りのすべてを聞いていたジョーダ。
ジャラルディンに対する評価が 1 ポイント アップだ。
閉ざされていたジョーダの心が少しずつ開いてくる。

一方、シャリフディンの支援が得られなかったスージャマルは、アジャブガーのラタン シンのもとを訪れていた。そこには、ウダイガール王のラーナ ウダイ シンもいた。
「ジャラルディンの軍に対抗するには、我々は違いを乗り越えて、手を組まねばならない」

ムガルの宮殿では、ジャラルディンがすっかりジョーダに夢中。
インド映画は、これを歌で表現する。『Jashn E Baharaa』(祝福の風?)。ジャラルディンとジョーダの愛情を上手に表現した良い曲だ。


曲の間に、ジャラルディンが鍛えられた上半身をこれ見よがしにさらして、剣の練習をしているシーンが入る。うっとりと見とれるジョーダ。
やはり、男は肉体美だ!
ジャラルディンも、ジョーダが見ていることを意識している。
やったね、ジャラルディン。2 人の心が、どんどん近付いている。

ジョーダのもとに知らせが入る。皇帝が、ピールの日(?)にラジプート料理を望んでいるという知らせだ。ジョーダには、皇帝から豪華なアクセサリーの贈り物が届く。

「皇帝は、ジョーダ様の気を引こうとなさっているのだわ」
「だったら、私も無関心ではいられません。料理を作ります」
「それはいけません。皇后が料理を作るなど」
「皇后として作るのではありません。妻として作りたいのです」

宮殿の台所でラジプート料理を作り始めたジョーダ。
そこへ、マーハム アンガーがやってくる。

「何様のつもりなの」
「何がいけないのでしょうか」
「まず、このアーグラ城にヒンズー寺院を作り、今、台所にいる。
何を企んでいるか分かっているわ」
「私は台所にいますが、それが何か?
妻として当然のことだと思いますが」

マーハムはジョーダに向かって言う。
「まだ結婚したとは言えないのではありませんか。
結婚したと言えるのは、世継ぎが生まれたときです」

「ムガルを存分に楽しむといいわ。
しかし、ムガルの一員になろうなどとは思わないでね」

「私があの子を、あなたの自由にさせるとでも思っているの!」

と、まあ、こんなやり取りがありまして、、、
典型的な乳母の嫉妬だ。

やがて料理が出来上がり、皇帝に振る舞われる。
「陛下、本日の献立は、ダール バッティ チュルマ、
ケールサングリ、ピスホーデ、ガッテ、ティルパープディ、
パンチメールサブジ、でございます。
デザートには、ゲーヴァーとソーハン ハルワを
用意いたしました」

今も食べられているラジャスタン料理の名前が、ぞろぞろと出てくる。
ナンとキーマカレーだけがインド料理じゃない!
インドは広いのだ。地方地方に独自の料理がある。
どんな料理か気になるので調べてみた。
リンク先(英語)にはレシピも掲載されているので、作ってみようと思う勇者は参考に。
ジャラルディンは、料理長のバカワルに言う。
「見事だ。バカワル」
「申し訳ございません。その料理は皇后がお作りになりました。私ではございません」とバカワル。

「なぜ、そのような面倒なことをした」とジャラルディンがジョーダに問うと、
「面倒なことではございません。私にとっては喜びでございます」なんてことをジョーダが言う。

そこへ、マーハム アンガーが割って入る。
「皇帝に出される料理は、料理人が毒見をすることになっています。
本日の料理はジョーダ皇后が作ったので、
皇后に安全を証明していただかなければなりません」

何と、ジョーダに毒見をしろいうのだ。
マーハムの言葉には逆らえないジャラルディン。
ジョーダは、皆の前で毒見をさせられる。

毒見が終わると、ジャラルディンは言う。
「皇后が毒見に使った皿をこちらへ。同じ皿で食事をしたい」

ジョーダは、どこで料理を覚えたのか。
料理人もビックリの腕前を発揮する。
「見事な料理だ」とジャラルディン。
「どの一口も賞賛に値する。
今後、ピールの日には、ジョーダ皇后の精進料理を食べることにしよう」

料理を絶賛してくれればジョーダも嬉しいに決まっている。
ジャラルディン、またまたポイントを獲得!
ジョーダの心を次第につかんでいく。

再び、愛の歌『Jashn E Baharaa』が流れる。
2 人が互いに惹かれあっていく様子が、よく描かれている。

こういうときは、必ず何かが起こる。

ジョーダに優しく接してくれていたハミーダ(ジャラルディンの実母)が、地方視察でアーグラ城からいなくなると、、、

インド映画は、期待を裏切らない。
何が起こるかは、次回のお楽しみ。

ここまでの上映時間、1 時間 45 分。
ハリウッド映画なら、そろそろ最終盤。
インド映画は、そろそろ中間点だ。