訳し終えた。最後まで見た。良かった。面白かった。
公開したら、日本でもきっとヒットする!
宣伝さえすれば、大ヒット間違いなし。そんな映画だ。
最後まで見て、なるほど、これがインドの心なんだと思った。
物語は、ベンガル地方でとりわけ盛大に行われる祭り、ドルガ・プージャと時期を重ねるように進む。ストーリーと祭りとは、直接の関係はないが、両者が最後に結合する。
そう来るか。なるほど、、、
映画の最後に、アミタブ・バッチャンの重厚なナレーションが流れる。
時には、神も間違いを犯す。
神は悪魔を作り、力を授けた。
悪魔の力が強大になり過ぎると、神は女神ドルガーを作った。悪魔を倒すために。
女神ドルガーは、すべての母親の強さを集めて作られたと言われている。
毎年、女神は自ら姿を現し、我々に恵みを与える。
悪を滅ぼし、帰っていく。
そのおかげで我々は、何の恐れもなく、平和に暮らすことができる。
この親父、やはり、映画の一番おいしいところを持っていく。
そうなのだ、この映画は、そういうことだったのだ。
やはり、インド映画だったのだ。しかし、それに気が付くのは、映画が終わる直前。
もう一度、見直したいと思わせる映画だ。
この映画なら、ストーリーを知った上で見ても、十分に耐えられるだろうと思う。
この映画のはじめの方に、次のせりふがある。
サットーキ、アルジュナの御者
サットーキというのは、警官ラナの本名。ヴェディヤをホテルまで送っていったのがきっかけで、ヴィディヤと行動を共にするようになる。
アルジュナの御者とは、マハーバーラタに出てくるエピソードで、弓の名手アルジュナの戦車(馬車)の御者になってアルジュナを守ったクリシュナのこと。
これも、映画を見終わって、アルジュナとクリシュナ、なるほどと納得できる。
この映画の邦題は 「物語」 とされることが多い。最初は、それで問題ないと思っていた。
ヒンディー語の辞書を調べると、Kahaani = Story だ。
しかし、最後まで見て思うこと。「物語」は、違うんでねえの?
つまり、Story ≠ 物語。
個人的には、この映画の邦題は 「ストーリー」としたい。賛成してもらえるだろうか。
もう一度、通しで見たい。見直したら、また新しい発見ができるかもしれない。
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