2013年10月17日木曜日

タタ財閥 -- ミルクと砂糖

タタ財閥の当主はゾロアスター教。
ゾロアスター教は、大昔に歴史の授業で習ったような気がする。

注: 以下、どこかからパクってきた情報ばかり。文末が「らしい」とか「かも知れない」だと思って読んで欲しい。

ゾロアスター教と言えば、その昔はペルシャ(今のイランあたり)の大半の人が信仰していた世界で最も古い宗教の 1 つだ。

覚えているか? 教科書に書いてあっただろ、 ササン朝ペルシャ。
西暦 226年~651年にかけて、イラン高原、アナトリア、アルメニア、アフガニスタン周辺までを支配した中東の巨大帝国だ。 ササン朝ペルシャの国教がゾロアスター教。 最後のゾロアスター教国家だ。

隆盛を誇ったササン朝ペルシャも、アラビア半島に勃興したイスラム軍との戦いに敗れて滅亡する。これによって、ペルシャ人の多くはイスラムに改宗するが、ササン朝ペルシャの中核にいた神官クラスの人々や、高い地位に着いていた人々は、簡単に改宗することもできなかったようだ。
イスラムは、ゾロアスター教の信者に強制改宗を迫ることはなかったようだが、異教徒のみに高額の人頭税を課すなど、差別的に扱った。こうしたことから、ゾロアスター教徒の一部は、ペルシャを脱出して、インドに渡ることになる。

伝承では、ペルシャから 4 隻または 5 隻の船に乗ってインドのグジャラート州南部のサンジャーンに辿り着いたとある。西暦 716 年とか、936 年とか、時代ははっきりしない。いずれにしても、イスラムの支配下で、ずいぶん苦労したようだ。インドに渡った人数も不明。仮に 300 人乗りの船だったら 1200 ~ 1500 人くらいか。

グジャラートに辿り着いたゾロアスター教徒は、現地のマハラジャと定住交渉を行う。
マハラジャは言う。「この土地には、あなた方を受け入れる余裕はない」
ゾロアスター教徒の代表は、溢れそうなまでミルクをコップに注いだ後、スプーン 1 杯の砂糖を加える。もちろん、ミルクは 1 滴もこぼれない。
「私たちはこのように、この地に溶け込み、この地を甘くすることができます」

この言葉を聞いたマハラジャは、新たな布教を行わないことを条件に、ゾロアスター教徒の定住を受け入れる。

こうしてインドへ渡ったペルシャのゾロアスター教徒は、「パールシー」(ペルシャ人)と呼ばれる集団を形成して、今に至っている。ペルシャからインドへ渡った人々は、百済から倭国に渡った人々と同じように、国家の中枢近くにいた比較的豊かな人々ではなかったろうかと思う(俺の想像)。

パールシーは、当初は農業を営んでいたようだが、英国がインドに進出すると、英国と結びついて商工業に進出した。英国は、インドの大部分を占めるヒンズー教徒と対立させようとしてパールシーを優遇した。英国得意の分離分割支配だ。豊かになったパールシーの多くは、グジャラートからムンバイに移住する。

東インド会社は、中国にアヘンを持ち込んで莫大な利益を上げた。それに協力したのがパールシーといわれる。英国がアヘン貿易で中国から追放された後は、パールシーがアヘン貿易を継続した。もちろん、背後に英国がいたことは言うまでもない。

タタ財閥の創始者、インド産業の父と呼ばれるジャムシェトジー・タタ(Jamshetji Nusserwanji Tata)は、1839年3月3日、パールシーの一家に生まれた。日本の天保時代、江戸末期である。

ジャムシェトジー・タタが精錬高潔の士だったかどうかは知らない。ただ、先祖がグジャラートで定住許可をもらったときのミルクに砂糖の話しではないが、地域に貢献できない企業に存在価値はないと考えていたことは確かなようだ。

ジャムシェトジー・タタは、1868 年に貿易会社を設立。その後、事業は急拡大し、繊維産業、ホテル産業、鉄鋼産業等へ進出していくのだが、1893 年(54歳)に来日し、綿花の直接取引を実現している。

当初は、インドの綿花を英国が購入し、それを日本の紡績工場に持ち込んでいた。英国が暴利をむさぼっていたのだ。英国を外して、インドから綿花を直接購入することができれば、日本とインドの双方に利益がある。当時、インドと日本の間で綿花を運んでいたのは、英国のビーオー汽船。これに代わって、設立間もない日本郵船がインドから日本に綿花を輸送することになった。

当時は、アジアが欧米列強に押されまくっていた時代。インドは完全に英国の植民地。そんな中で、ジャムシェトジー・タタは日本と組んで英国に対抗しようとした。

こうして、神戸ボンベイ航路が始まるのだが、ビーオー汽船も黙ってはいない。破格の値下げに始まって、様々な妨害工作が行われる。簡単に書いているが、色々あったのだろう。それに耐えて、タタと日本郵船は事業を継続していくのだが、こうした歴史も映画にしてくれないものか。俺をはじめとして大半の日本人はそんな歴史を知らないのだから。

こんなことで、タタは親日家ということになっている。
旧日本軍が占領した地域、特に朝鮮、満州、北支では、反日感情が非常に強い。
インドは旧日本軍が占領しなかったせいか、親日家が多いようだ。

ミルクと砂糖の話し、地域に貢献できなければ企業の存在価値はない、、、
日本の企業にも当てはめて考えてみたい。
利益を追求するばかりが企業ではない、、、と思うのだが。

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