2013年12月14日土曜日

インド映画 『Guru』 (グル)-- その 6

1980 年 10 月 16 日、シャクティー社に対する疑惑を調査するターパル委員会の最終公聴会が開催され、グルはスジャータと共にその公聴会に赴く。

グルがイダル村を出て、トルコのイスタンブールに渡ったのが 1951 年。
それから 30 年弱。 仮に 1951 年当時 15 歳だったとすると、公聴会に出席したのが 44 歳。スジャータはグルの友人の姉なので、2 つ年上とすれば 46 歳。
それにしては、少し老けすぎメイクと思うのだが。


そうでもないか、こんなものか?
まあ、いいか。 で、公聴会だよな。

ターパル委員会の委員長が、公聴会の冒頭で英語で話すのだが、それを聞いてグルがスジャータに耳打ち。スジャータがグルの言葉を伝えるために発言する。
「今 おっしゃったことを、もう一度ヒンディー語でお願いできないでしょうか? 私たちは田舎者です。 英語は苦手です」
「私は両方話せます。どちらでもかまいません」
「あなたは、私たちの命を奪うこともできます。同じ命を奪われるのなら、ヒンディー語でお願いします」
「それはあなたの答えですか、それとも彼?」
「彼の答えです。 私の声ですが...」

別の委員がグルに尋ねる。
「あなたの妻は、シャクティーの従業員ですか、役員ですか、取締役ですか?」
グルは、首を横に振る。
委員長が言う。「そうでなければ、退席してください」
グルがスジャータに耳打ちする。

それを聞いたスジャータがグルの顔を見る。
我が意を得たりという表情を浮かべるスジャータ。

アイシュワリヤーは、台詞のないところで素晴らしい演技をする。
このシーンもそうだ。

「私は、シャクティーのオーナーです。 創業者で、持株会社の 50 パーセントの株を所有しています」
「それがどういうことか 分かりますか?」と委員長。
「あなたも一緒に、刑務所に行くことになりますよ」
それにスジャータが答える。
「私たちは、対等のパートナーです。 どこへ行くにしろ、一緒に行きます」

シーン変わって、病状が悪化したメヌーを見舞うグルとスジャータ。
人工呼吸器を着けて苦しそうなメヌー。バックに流れる曲は「Shauk hai」(私は好き)。


再び、公聴会に戻る。委員の質問、それに答えるシャクティー側の弁護士。
そして、委員長がグルに向かって言う。
「反論はありますか? 本日の、この公聴会はカメラのみです。お分かりですね? 非公開です。明日は マスコミと市民に公開されます。今日、すべての申し立てを認めた方が、良いのではありませんか。言いたいことがあれば、今、ここで言ってください」

「1 つ言いたいことがあります」とグル。
皆が何を言うのかと待っていると、グルは一言、「ナマステ」。

"ナマステ" って、「こんにちは」 と 「さようなら」、どちらも意味もある。
ちなみに、英語字幕は Greetings。 日本語に訳すと「どうも」。
この場合は「さようなら」、少しひねって「ごきげんよう」かな?
それを聞いたアイシュの含み笑い。 いいね~!
スジャータの気持ちが伝わってくる。

そして、メヌーの火葬シーン。


グル、スジャータ、メヌーの祖父であるマニーク、メヌーの夫のサクセナはいるが、メヌーの両親がいない。このあたり、もう少し説明がほしい。一体、グル、スジャータ、マニーク、メヌーの関係は、どうなっているんだ。

それと、日本の火葬って窯で焼くけど、インドのヒンズー教徒は今でも上の写真みたいに薪を積んで焼くんだって。

シーンが変わって公聴会の 2 日目。
グルが建物に入っていこうとすると、1 人の男性がグルに声を掛ける。
「シャクティーの株のお陰で、3 人の娘を結婚させることができました。ありがとうございました。私はあなたの味方です」
その声に勇気をもらったグルは、公開公聴会に臨む。

グルに許された発言時間は 5 分。
ここから、グルの圧巻の大演説が始まる。 この映画の核心だ。
グルは、マスコミや一般市民を前に、次のように主張する。

「私が商売を始めようとしたとき、商売の扉は閉じていた。
金持ちにしか開かないその扉を作ったのは政府だ。
その扉を開けるために、賄賂を贈り、敵を攻撃した。
金が必要なときは金を作った。 しかし、自分のためではない。
300 万人の株主のためだ」

グルは、「我々の国が未来永劫、発展途上国でよいのか」と訴える。
「それとも、私が給油係でいたほうがよかったのか」

そして、委員会の委員に向かって言う。
「あなた方にも、あなた方の法にも、国の前進を止めることはできない。
あなた方は 国の前進に、どのような異を唱えるのか?
国の前進を止めることができるのか? 答えていただきたい!」

それを聞いていた市民から拍手が起こる。
明らかに議論のすり替えだが、これで世論の支持はグルに傾く。

「これではグルを吊るせない」と委員会の委員。
「彼は、天才か、ならず者か?」
「その両方だ」

この結果、29 件の申し立てのうち 2 件について有罪とされ、罰金刑が言い渡される。
予想外の軽い処分だった。

こうして、シャクティーは復活を果たす。
インド最大の企業に成長したシャクティーは、世界最大の企業へと、新たな成長を開始するのであった。

最後に、脳梗塞で倒れて右半身麻痺だったはずなのに、聴衆を前に高々と右手を挙げる不死身のグル。リハビリの様子を映すとか、せめて左手を挙げろよ! まさか、右半身麻痺というのも、世論を味方につけるためのグルの策略だったのか。


うん、なかなか面白い映画だ。
ビジネスの世界では、正義も悪もない。
その中で、力強く生き抜いてきたグルには共感が持てる。

ただし、細部をもう少し丁寧に描いてくれていたら、さらによかった。
2 時間 40 分では描ききれなかったのだろうが、このテーマなら、大河ドラマにしても面白いのではないか。グルが、どのような少年時代を過ごし、イスタンブール時代に何があったのか、もっと詳しく知りたい。

最大の謎は、スワタントラ サマチャール新聞のオーナー、マニーク。
孫のメヌーがいて、メヌーの両親がいないのはなぜ?
マニーク、メヌーと、グル、スジャータが、なぜ家族ぐるみの付き合いをしている?
このあたりも、しっかりと描いてほしかった。

そして、グルの不正行為。何をやったのか、なぜやったのか。
会社の役員たちは、そのとき、どうしていたのか。
企業倫理を、どう考えているのか。
この点の描き方が非常に弱い。というか、ほとんど描かれていない。

悪を叩くためなら、新聞がでっち上げ記事を掲載しても良いのか。
日本のマスコミの小沢叩きも、似たような構図だったのではないかと疑ってしまう。

とは言え、それらを割り引いても、この映画の俺の評価は A。

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