2014年11月11日火曜日

ヒンディー語の勉強、少しも進まず

ヒンディー語の勉強、まったく進んでいません。
何日か勉強しなかったら、それまで覚えたことを全部忘れてしまいました。

「インドの文字は難しいから」、そう言ってインド人に慰められる始末。
いまだに、ヒンディー文字はまったく読めません。

インド映画、今年は「Chennai Express」と「Thanks Maa」を見ることができてよかった。
面白かった。「My name is Khan」には感動した。
しかし、他の映画はダメダメ。
当たりはずれの多い年で、外れた映画のおかげで、すっかり疲れてしまった。

見ていないインド映画の DVD がたまってきた。
アクシャイ・クマールの「ENTERTAINMENT」とか面白そう。
リティク・ローシャンの「KRRISH3」も買っただけで見ていない。
カリーナ・カプールの「HEROINE」も放ったらかし。


ゆっくりと、落ち着いて見たいと思っているのに、バタバタ生活している。
見る機会がないまま、放ってある。もったいない話し。
ま、そのうち見るさ。DVD が逃げるわけじゃなし。

2014年10月15日水曜日

ヒンディー文字のハードル高杉晋作

無理なのかも、、、、 ヒンディー文字を覚えるの。

ヒンディー アルファベットの簡単なオンラインゲームがある。


発音を聞いて、いくつか表示されている文字の中から正しい文字を選ぶゲームだ。



やっても、やっても、すぐに忘れてしまって、自分がバカに思えてくる。
発音も聞き取れない。耳が悪いのかも。
「タ」も「ダ」も同じに聞こえてしまう。

最初からハードル高杉晋作だ。

2014年10月13日月曜日

マイ・ネーム・イズ・ハーン -- イスラムに対する偏見

ヒンズー教徒とイスラム教徒は互いに憎しみ合い、常に殺し合っているというイメージがある。学校でも、大英帝国インド領が、宗教の違いからインドとパキスタンの 2 国として独立したと習った。カシミールをめぐって、領土争いから両国は何度も戦争まで行っている。

しかし、インド国民が全員ヒンズー教で、パキスタン国民が全員イスラム教かというと、決してそんなことはない。インド国民の約 13%がイスラム教で、少数派ではあっても日本の人口よりも多い 1 億何千万人かのイスラム教徒がインドで暮らしている。

そうなると、ヒンズー教徒とイスラム教徒の間に愛が生まれることもあり、ヒンズー教徒とイスラム教徒が結婚するということもあるわけだ。

映画では、2008 年に公開された「Jodhaa Akbar」(ジョーダ・アクバル)が、まさにヒンズーとイスラムの問題を正面から取り上げている。
ムガール皇帝でイスラム教徒のジャラールディン・アクバルと、アメールの王女でヒンズー教徒のジョーダ姫が政略結婚する映画だ。政略結婚といえば、日本人なら浅井長政とお市の方を思い浮かべるかもしれないが、互いの宗教まで異なるとなると、ただ事ではない。映画でも描かれていたが、周囲の反発も尋常ではない。

そして、「マイ・ネーム・イズ・ハーン」が、ヒンズーとイスラムの問題を正面から取り上げている。インドでは(おそらく世界中で)ハーン(カーン)という名前だけでイスラム教徒だというレッテルを貼られるらしい。

「マイ・ネーム・イズ・ハーン」の主人公、リズワン・ハーン(シャールク・カーン)はイスラム教。リズワンと結婚するマンディラ(カージョル)はヒンズー教。マンディラの名字は、リズワンと結婚することによって "ハーン" に変わる。マンディラは、愛さえあれば、名字が変わることなど大した問題じゃないと思って結婚する。

しかし、米国で発生した 9.11 同時多発テロでイスラムに対する偏見、差別、迫害が一気に噴出する。「ハーン」という名字のために、イスラム教徒だと思われてしまう。そして、イスラム教徒は全員テロリストだと思われてしまう。

2 人を襲う悲劇。偏見が生み出す暴力。
それが原因でマンディラの子供が殺害される。
マンディラはリズワンと結婚したことを後悔してリズワンを罵る。
皆が私たちをテロリストだと思っている。私たちがテロリストじゃないって皆を説得できるの?
大統領にそう言ってよ!

My name is Khan. But I'm not a terrorist.

大統領に、この一言を伝えたくて、、、

インド映画には違いないが、伝統的なインド映画のジャンルには入らない。
しかし、いい映画だ。見て損はない。評価は A

で、シャールク・カーン。
彼は、私生活ではイスラム教徒。妻のガウリはヒンズー教徒。
私生活も、この映画そのままだ。
もちろん、彼はテロリストじゃない。
「マイ・ネーム・イズ・ハーン」の迫真の演技ができるわけだ。

今、イスラム国がどうしたとかで、再びイスラムに対する偏見が膨らもうとしている。
イスラム国を非難しつつ、彼らの残虐性を誇張して、これとばかりに宣伝する。
まるで、イスラムが世界の敵だと言わんばかりに。
そして偏見が生まれ、差別が生まれ、暴力につながる。
日本で言えば、朝鮮人差別がこれに当たるのか。

My name is Khan. But I'm not a terrorist.

今こそ、この言葉をかみしめたい。

2014年10月12日日曜日

マイ・ネーム・イズ・ハーン -- Khan

「マイ・ネーム・イズ・ハーン」の原題は「My name is Khan」。
Khan が「ハーン」と訳されている。

Shah Rukh Khan = シャー・ルク・カーン
Salman Khan = サルマン・カーン
Aamir Khan = アーミル・カーン

だったら、My name is Khan も「マイ・ネーム・イズ・カーン」じゃないの?

「マイ・ネーム・イズ・ハーン」の主人公リズワン・ハーン(シャールク・カーン)は、アズベルガー症候群という障害を持ち、新しい土地や新しい人になかなか馴染めない。大きな音や黄色を恐ろしく感じる。そんなハーンが母親の死後、サンフランシスコに移住した弟を頼って渡米する。
サンフランシスコで美容師のマンディラ(カージョル)を親しくなったハーンは、ある日、マンディラの子供サミールを連れて博物館に出かける。2 人は博物館で行なわれていたゲームに参加し、ハーンの力で優勝する。サミールは大喜び。

帰ってくるなりマンディラに抱き付いて言う。
「カーンが勝ったんだ」
するとハーンは、「違う "カーン" じゃない ハーンだ」
「そう言ったよ」とサミール。
ハーンは言う。「喉頭蓋(こうとうがい)から声を出すんだ ハーン ハ、、、」

つまり、K と Kh の違い。ヒンディー文字で書くと、 の違いだ。
 は「カ」、  は「カ」と「ハ」を同時に発音して「カ」。
कान なら「カーン」で良いが、ख़ान は「カーン」か「ハーン」にしないとマズイというわけ。
なるほどね。外国語をカタカナで表現するのは大変だ。

というわけで、今日から子音の勉強。

(か) (か(が) (が)  が)

子音を 1 つ覚えると、母音と組み合わせて色々な文字ができる。

(か) का(かकि(き) की(きकु(く) कू(くकृ(く
के(け) कै(かको(こ) कौ(か

これは、覚えられね~わ。インド人て、天才に違いない!

2014年10月11日土曜日

ヒンディー語の入力

発見! ヒンディー語の入力は、Indic Input を使えば簡単だ。
Indic Input は、Microsoft Bhasha の Web サイトから無料でダウンロードできる。
XP の場合は Indic Input 1 を選択、Vista 以降の場合は Indic Input 3 を選択する。言語は Hindi、マシンの CPU に応じて 32 ビットか 64 ビットの適切な方をダウンロード。ZIP ファイルを解凍して setup.exe を実行してやれば簡単にインストールできる。

PDF 形式のヘルプ ファイル(英語)も用意されているので、それもダウンロードしておこう。
設定や使い方が詳しく説明されている。

入力は、すこぶる簡単。発音どおりに入力すれば、正しく変換してくれるようだ。
下のように、入力中にフライヘルプを表示することもできるので、どのキーを押せばどの字が表示されるか、簡単にわかる。


慣れればこんなヘルプは必要なくなるだろうが、今の自分には、これほど有難い機能はない。
素晴らしいの一言だ。

Google の翻訳サービスサイトで、こんな遊びもできる。知ってるヒンディー語を発音どおりに打ち込むと、、、


このとおり、正しく変換されている。何だか、楽しくなってきた。
こいつを使ってヒンディー語をバンバン入力し、バンバン覚えていこう!

2014年10月10日金曜日

ヒンディー語のお勉強 -- 2 日目

昨日は 4 個。
अ आ इ ई         あ、あ~、い、い~

今日は、プラス 9 個
उ ऊ ऋ ए ऐ     う、う~、り、え、え
ओ औ अं अः    お、あ、あ、あ

これで母音は終了。

とにかく、手を動かして紙に書くことだ。
1 回や 2 回書いたくらいじゃダメ。
10 回も 20 回も書いてみる。
それでダメなら百回書く。
百回書いて覚えられなければ千回書く。
千回書いて覚えられなければ一万回書く。
一万回書いて覚えられなければ十万回書く。
十万回書いて覚えられなければ...

書いて書いて書きまくる。
これ、文字を覚える最短の方法なり。

今年、苦労に苦労を重ねた Ram-Leela に気になるシーンがある。
Ram と Leela が駆け落ちして、別の街に向かうシーン。
道標が映り、1 km と書いてある。


どこまでが 1 km なのか、2 人はどこに向かっているのか、今もってわからないまま。
しかし、デーヴァナーガリー文字が読めるようになると、この謎も解ける。
今月中には、何とか読めるようになりたいものだ。

2014年10月9日木曜日

ヒンディー語のお勉強 -- 1日目

デーヴァナーガリーねえ。
最初にして最大の難関。
しかし、読み書きできるようになると格好いいだろうねえ。
きっと、皆に自慢できるぞ!

要するに、下の表を覚えりゃいいんだ。


ヒンディー語の Web ページが正常に表示されるので、何もしなくてもデーヴァナーガリーは表示されるようだ。しかし、キーボードからは、どうやって打つんだ?

結構大変みたいだが、焦らず、徐々にやっていこう。
1 日 4 文字くらいなら覚えられるだろう。

अ आ इ ई  あ、あ~、い、い~

 がうまく書けない。昔から字、下手だもんな。

ちなみに、上のデーヴァナーガリーは A Guide to Hindi - The Hindi alphabet からのコピペな。打ち方、分からんもん。
本日は、これで終了。明日まで覚えてられるかな?

2014年10月8日水曜日

ヒンディー語習得計画スタート

Thanks Maa を完全に翻訳したい!!
皆、何を言ってるんだよ! それを知りたい!!
そのためには、ヒンディー語を覚えなければならない。
よ~し、覚えてやろうじゃないか。

この決意、実は 2 回目。
何年か前に、「A Door Into Hindi」という何となく良さげなレッスンで始めてみたのだが、レッスン 2 で挫折してしまった。
アルコールのせいで大脳の言語野が腐ってしまったのか、さっぱり頭に入ってこない。
特に、あのワケ分からん文字! あれでアウトだ。

A Door Into Hindi は、体質に合わなかったようだ。
今回は、大阪大学の「ヒンディー語独習コンテンツ」を使ってみようと思う。

ふむ、なになに、、、「まず、第1課でヒンディー語を書き表すのに用いられるデーヴァナーガリーと呼ばれる文字とその発音を練習してください」ってか。

おいおい、この前もデーヴァナーガリーで挫折したんだぞ。
こんなもの覚えられるかよ。

「文字は日本のひらがなと同じ表音文字でその数も限定的ですし、発音と表記は整然と対応しています。最初は戸惑うでしょうが、一度覚えてしまえば、あとは新しく出会った単語であっても正しく読み書きができるようになります」

ひらがなと同じと言われたんじゃ、覚えなきゃなるまい。
これを覚えないと、ヒンディー語のテキストが読めないもんな。

というわけで、またぞろヒンディー語習得計画のスタートだ。
2 度目の挑戦! 頑張るぞ! オ~!!

2014年10月5日日曜日

秋の夜長は「マイ・ネーム・イズ・ハーン」

Amazon で 1000 円未満で買える「マイ・ネーム・イズ・ハーン」。



カラン・ジョーハル監督が、歌とダンスといったインド映画らしさを徹底的に排除して、グローバル・スタンダードの「普通に面白い映画」を目指して作り上げた映画だ。
当然、インド映画らしくない映画なので、インド映画ファンにとっては残念な、ごく普通の映画に仕上がっている。

しかし、日本語吹き替え+日本語字幕版が 1000 円未満で買えてしまうので、絶対にお得だ。
秋の夜長は、これで決まり。

原題は「My name is Khan」。2010 年の公開で、同年 12 月には 20 世紀フォックスから日本語版 DVD が発売されている。2010 年前後は、米国資本が第 2 第 3 のカンフー映画を夢見て、インド映画界に資本をつぎ込んだ時期で、インド映画らしからぬインド映画が多く作られている。
インド映画界の一部には、歌やダンスはもう古い、そんな映画は田舎者が見る映画だといった風潮さえあったようだ。

この DVD には、おまけとして「ボリウッドの新風」という短いフィルムが収められていて、上記の事情の一端がよく現れている。

映画の概要は、ここを見てほしい。
「全米が泣いた!! 『フォレスト・ガンプ』に続く、号泣必至のヒューマンドラマ!」ということらしい。インドのスーパー スター、シャールク・カーンに「フォレスト・ガンプ」の二番煎じと言ってやるのは可愛そう。
それより、シャールク・カーンが、超シリアスな役柄をどのように演じているかの方が、はるかに興味深い。

同じシャールク・カーンの 2013 年のフィルム「Chennai Express」(チェンナイ急行)に、次のようなシーンが出てくる。
スリランカへ向かう密輸船がインド海上警察に拘束されたときに、シャールク・カーンが海上警官に向かって言う。「I'm not a terrorist.」(僕はテロリストではありません)。
もちろん、この映画のパロディー。

さて、繰り返しになるが、普通に面白い映画だ。インド映画ファンでなくても(ない方が?)十分に楽しめる。


他のインド映画らしいインド映画の日本語版も、これくらいの値段で出してほしいよね。
そしたら、自力で英語字幕を翻訳する必要もなくなるのに。

2014年10月3日金曜日

Thanks Maa (お母さん、ありがとう) -- 日本語字幕(暫定版)完成

Thanks Maa (お母さん、ありがとう)の日本語字幕(暫定版)が完成したので、倉庫に入れておいた
字幕はセリフの 1 つ 1 つに対応しているわけではなく、肝心の部分が抜けてしまっているなど、かなり粗い。正式な英語字幕付きの DVD が手に入ったら、再翻訳することになりそうだ。

今回倉庫に入れた字幕は、TouTube のこの動画にタイミングが合っている。
次のようにすると、日本語字幕付きで見ることができる。

  1. Craving Explorer などのダウンロード ソフトを使用して、YouTube の動画を AVI 形式で落とす。
  2. 字幕倉庫の字幕を「メモ帳」などのテキストエディタにコピペして、動画と同じファイル名(拡張子は .srt)で動画と同じフォルダに保存する。
  3. VLC media player などで再生する。

字幕がうまく表示されないときは、このあたりの情報を参考に。
どうしてもダメなら、字幕編集ソフト Aegisub を使えば絶対確実。

ただし、ヒンディー語が分かる人にとっては、大笑いの誤訳が含まれているかもしれない。
そこはご愛嬌ということで、ご勘弁を。

この映画、登場人物がいずれも極めて個性的。
まずは、ストリート チルドレン 5 人組。

ムンシパルティー、12 歳。この映画の主人公。
生まれたばかりのときに病院に置き去りにされ、両親の顔を
知らない。
毎週、置き去りにされた病院を訪れては、母親が捜しに来て
くれるのを待っている。
財布を盗んだことから少年院に入れられるが、夜中に脱走する。
そのとき、少年院にタクシーが到着し、すぐに出て行くのを見る。
タクシーが去った後、犬が何かに近寄っていく。
何と、生まれたての赤ん坊が置き去りにされている。

ムンシパルティーは、赤ん坊を連れていくことに。
拾った赤ん坊に、自分を重ね合わせているのかもしれない。

この子を、母親の元に届けよう。そう決意したムンシパルティーは、母親を必死に探し始める。

ソラ、15 歳。5 人組みのリーダー。
家出をしてストリート チルドレンになった。
靴磨き、万引き、スリ、たかり、ダフ屋、ギャンブルなど、
できる事は何でもやって、必死に生きている。
年下の 4 人に慕われている頼りになる兄貴だ。
今の日本人に、これだけのたくましい人間はいるだろうか。
日本では、大人も、子供も、恵まれすぎているのかもしれない。

スースリ、10 歳。
この映画によると、インドでは女の子を売春組織に売り飛ばす
なんてこともあるようだ。子供たちが売春街に来ると、ポンビキ
みたいな男に早速目をつけられたりして、危なっかしいこと
このうえない。


カティン、8 歳。
厳しい社会、これくらい元気でないと生きていけない。

デシャーナ、6 歳。
向こう意気が強く、よくしゃべる。
口から先に生まれたような子供。
そして、この映画のもう 1 人の主人公。


クリシュ。生後 2 日?
子供たちは、この子の世話をしながら、母親を探すことに。
この映画に登場する大人たち。

おかま売春グループのボス。
まあ、こういう人もいるかもね。
苦労しているだけに、こういう人の言葉は重い。
そうは思うが、肝心の部分の字幕が表示されない。


タクシーの運転手。
薬物中毒。アヘンみないなのを吸ってる。
頭がパーになるぞ!

娼婦を家に呼んだ男。
家庭を持っているくせに、妻の留守中に娼婦を家に呼ぶとは。

ラクシュミ。娼婦。
屋外で愛し合っている場面が登場するが、インドでは屋外も
ありなのだろうか?
ホテル代がいらないから、安上がりだろうけど。

患者の物を盗んで病院を首になった男。
どうしようもない連中が他にもゾロゾロ登場するが、子供たちの味方もいる。


ムンシパルティーが、母親が迎えに来てくれることを期待して
毎週訪れている病院の警備員。
ムンシパルティーは情報料として、欠かさず酒を差し入れる。
映画の最後で何か言ってるけど、字幕が出ないので
何を言ってるのか分からない。
大事なセリフのように思うが、、、

教会の牧師。
親身になってムンシパルティーに手を差し伸ばす。
善の代表は、やはりキリスト教ということか。
ヒンズーやイスラムの坊さんは助けてくれないのだろうか。
日本の寺の坊主はどうだろう。
そして、この 2 人。重要人物、WANTED!



この映画では、子供たちも、大人たちも、サルマン・カーンが大好き。
大人も子供も、「テ~レ~ ナ~ム」と、2003 年に公開された「Tere Naam」の主題歌を口ずさんでいる。街には、そこかしこに映画のポスターが貼られている。インド人にとって、映画は完全に生活の一部だ。

この映画の最後に、いくつもの新聞記事が登場する。
インドでは、深刻な社会問題となっているようだ。










そして、この映画は前回にも紹介した次のメッセージで終わる。

While you were watching this film more than 11 unfortunate kids have been left abandoned somewhere in India.
あなたが、この映画を見ている間にも、インドでは 11 人以上の子供が捨てられています。

According to an unofficial estimate 270 kids are left abandaned everyday in just various hospitals of India.
公式の調査ではありませんが、インドでは毎日 270 人の子供が病院に置き去りにされます。

Let us give every kids a legitimate chance to say Thanks Maa.
すべての子供が、「お母さん、ありがとう」と言える社会を作りましょう。


当初は S 評価だったが、残念ながらそこまでは届かず。
日本語字幕で見直した結果、評価は、ど真ん中の A
重いテーマの映画だが、明るくコミカルに表現されていて、素晴らしいできばえだ。
歌もダンスもなく、日本人好みの映画に仕上がっている。
絶対に面白いので、みんな見るべし。

2014年9月26日金曜日

Thanks Maa(お母さん、ありがとう) -- プロローグ

Thanks Maa、英語字幕の位置合わせを一日がかり。
普通は合わないんだよ、YouTube の動画と、字幕サイトにアップされている SRT 字幕。

「キャ」 は「What」の意味だから、この字幕はこの台詞に対応すると、、、、
んなことを考えながら、音声と字幕を対応付けていく。
YouTube から DL した動画と、何かわからない字幕サイトから DL した字幕では、合うわけがない。

みんな知ってる? YouTube から動画を DL するなら Craving Explorer で決まり。
何しろ一発で AVI 形式で保存できるのだから、面倒な変換ツールは不要。

AVI 形式の動画と、SRT 形式の字幕があれば、Aegisub を使って字幕表示タイミングの調整。

字幕の表示タイミングを調整しながら、英語字幕で Thanks Maa を観賞。
素晴らしい! 理解度 30%。評価は S

ただし、この字幕、かなり粗い。
3 秒ほど話しているのに、たったの 5 ワード? それは、ないだろう。

2 時間の映画で 4579 ワードは少なすぎる。かなり、はしょった英語字幕。
う~む、なんか肝心のところが抜けている。

「チャロー! チャロ!」と言って、子供たちを追い返した大人が、追い返した後に何かつぶやくのだが、おいおい、字幕が表示されへんやんけ!
何か、重要なことを言っているに違いない!!!!!

ラストシーンもそう。
「現実はそんなに甘くはないんだ」とか何とか言ってるのか?
何を言っているんだ!!!!!
ラストのセリフが分からんと、欲求不満で寝られんじゃないか!!!

D さんに教えてもらった字幕。不完全な字幕。
無いよりは遥かにマシだが、これは神が与えてくださった試練に違いない。
お~し、やってやろうやないか。
ヒンディー語を訳してやる。明日から、毎日、あのカレー屋通いだ。

-----------------------------------

この映画の最後に表示されるメッセージを紹介しておく。

While you were watching this film more than 11 unfortunate kids have been left abandoned somewhere in India.
あなたが、この映画を見ている間にも、インドでは 11 人以上の子供が捨てられています。

According to an unofficial estimate 270 kids are left abandaned everyday in just various hospitals of India.
公式の調査ではありませんが、インドでは毎日 270 人の子供が病院に置き去りにされます。

Let us give every kids a legitimate chance to say Thanks Maa.
すべての子供が、「お母さん、ありがとう」と言える社会を作りましょう。

------------------------------------

これほど重いテーマの映画を救っているのは、この映画に登場する子供たちだ。

というわけで、次のターゲットは Thanks Maa に決定。
4579 ワード、プロの翻訳者なら 1 日で訳してしまうのだろうか。
私は、、、、 ????

2014年9月25日木曜日

「Ram-Leela」(ラームリーラ) -- 字幕完成

長らくお待たせしました。Ram-Leela がようやく公開レベルに達したので、字幕倉庫に放り込んでおいた。
長くかかり過ぎて、すっかり疲れたというか、見飽きたというか、この映画を冷静に判断できなくなってしまった。

ベトベトの恋愛映画が好きな人なら気に入るかもしれないが、自分には甘い甘いケーキを食わされたような気がして、最終評価は C となってしまった。

バンサーリ監督には大変失礼だとは思うが、映像を消し、音声と字幕だけをオンにして見ると、そこそこ良い映画のように思えてくる。映像の敗北といえるのではないだろうか。

なお、ラーム役のランビール・シンには、次回作を期待したい。
インド映画は、スターの高齢化が進んでいて、新人が出てきにくくなっている。
それにつれて、映画の制作費も上昇傾向。
シャールク・カーンやサルマン・カーンなどのスーパースターもいいが、多くの新人が活躍する活気ある映画界であり続けてほしいものだ。

2014年9月22日月曜日

「Thanks Maa」(お母さん、ありがとう) -- 見た! よかった!

YouTube にアップされていた Thanks Maa を見た。
字幕なし。ヒンディー語が分かるわけもなく、理解度は 5%程度。
それでも、よかった。メチャ、よかった!!



ストリート チルドレンが捨てられた赤ん坊を見つけ、その子の命を助けようと母親を探すというストーリー。雰囲気は、下のトレーラーを見て欲しい。


歌もダンスもない。ストーリー重視の日本人好みの映画だ。
貧困問題を表に出しただけの、お定まりのヒューマニズム映画ではない。

しかし、ネット上を方々探したが、英語字幕が見つからない。
DVD は手に入るだろうか。
映画の評価は高いようだが、インドではヒットしたのだろうか。

IMDb によると、2009年の映画のようだ

DVD が入手できたら、多くの人にぜひ紹介したい。

チャロー! この映画には「チャロー」という言葉が頻繁に出てくる。
「出て行け」という意味だ。
赤ん坊を抱えた子供たちは、大人に助けを求めるが、多くの大人たちは「チャロー」と言って子供たちを追い払う。罪悪感を感じながらも、子供たちを無視する大人もいる。

子供たちの目を通して、大人の世界が描かれている。
見る者の心が揺さぶられる感動の映画だ。

日本で公開すれば、必ずヒットする。
間違いない。

2014年9月19日金曜日

「Ram-Leela」(ラームリーラ) -- なぜ面白くないのか

この映画がなぜ面白く感じられないのか、やっとわかった!

リーラ役のディーピカ・パドコーンが少しも輝いていないのだ。
「Om Shanti Om」(オーム・シャンティー・オーム)や「Chennai Express」(チェンナイ急行)であれほど輝いていたのに。

インド映画では女性の美しさの形容に「月のような」という表現が頻繁に出てくるが、ティーピカ・パドコーンは、まさに月のような女性だといえる。
「Om Shanti Om」も「Chennai Express」も、シャールク・カーンとの共演。
自分では光を放たないが、シャールク・カーンの光に照らされて美しく輝いていたのだ。

ラーム役のランビール・シンに、ディーピカを輝かせる力がなかったということ。
この点に気が付くまで、ずいぶんかかってしまった。

せっかくここまで来たのだから、頑張って字幕を完成させよう。
あと一歩だ。

2014年9月2日火曜日

「Ram-Leela」(ラームリーラ) -- あと 2 キロ

久しぶりに、本当に久しぶりに Lam-Leela の字幕をいじった。

翻訳は一通り終わっている。
後は、映画を見ながら、訳文の調整と、字幕の表示タイミングの修正をすれば完成。
4-5 日もあればできてしまう程度の作業量なのに、2 カ月も放ったらかし。

インド映画が嫌いになったわけではない。
時間がなかったわけでもない。
しかし、Lam-Leela の作業を続ける気になれなかった。

Lam-Leela の面白さがわからない。
いい映画かもしれない。しかし、この映画のために、頑張ってみようという気になれない。

挫折して、次の映画に取り掛かろうかとも思ったが、さすがにここで挫折するのは悔しい。
マラソンで言えば、40 キロ地点を通過し、あと 2 キロだ。

もちろん、今までに挫折した映画はある。
1981 年版の Umrao Jaan だ。主人公のウムラオは詩が得意で映画の中に先生から詩を習う場面がある。ウムラオの詩を先生が修正する。すごく良くなった、、、こんな場面。
私に、そんな詩は訳せない。だから挫折。翻訳は保留。いつか、この難関を突破してやろうと思っている。しかし、今回の Ram-Leela は違う。難関も何もない。やっていて面白くないのだ。

インド映画の字幕翻訳は 20 本前後やったが、こんな経験は初めてだ。
夏に雨が多かったからだろうか。それともアルコール性痴呆症か。
あと 2 キロ。何日かかることか。

2014年7月17日木曜日

再び 「Chennnay Express」(チェンナイ急行)

楽しい映画を見たくなり、再び「Chennnay Express」(チェンナイ急行)を見た。
良かった、面白かった!
歌もいいし、ダンスも最高。これぞインド映画だ。

この映画、シャールク・カーンの力が絶大だ。
その圧倒的な存在感。さすがにスーパースター。

映画を見て思った。
もしかすると、シャールク・カーンは迷っているのかもしれない。
新境地を発見しなければ、、、、
その思いが、彼の原点である DDLJ に戻したのではないだろうか。

評価は、極めて S に近い A
最近のインド映画の中では、最高に面白い。

おっと、Ram-Leela の日本語字幕を完成させなければ、、、、
すっかり忘れていた。

2014年7月4日金曜日

「Ram-Leela」(ラームリーラ) -- その 6

最後まで訳したが、結末を見ても納得できず。
現時点の評価は「C」だ。

前回の続きを紹介すると、ダンコールが撃たれたために、サネラとラジャーリが一触即発の危機を迎える。その危機を避けるために、ラジャーリとサネラが直接話し合うことに。

立会人は、ランジャールの村長。
ラジャーリの代表はラーム、そしてサネラの代表はダンコールに代わってリーラ。

500 年以上も敵同士だったラジャーリとサネラ。
両家の間には長年の憎しみが横たわっていて、2 人は自分たちの愛を成就できないと悟る。

2 人は争いを避けるために、互いの一族の仕事の領域を決め、それに合意する。
ババニは、平和を求めるリーラに詰め寄る。
「報復するのが怖いのか」
ラームが言う。
「彼女が臆病者だったら陰から攻撃しただろう。公然と愛したりしない」
そしてリーラに向かって、
「これからは敵になろう。愛し合いながら」

そして、リーラと最後の写真を撮る。それは 2 人の別れでもあり、ラジャーリとサネラの和解の象徴でもあった。この映画の中では印象に残るシーンで、思わず胸が熱くなる。


その翌日、リーラがダンコールと話していると、ババニが書類を持ってくる。
昨日の合意文書に署名が欲しいというのだ。
リーラは文書の中身を確認せずに署名する。
ところが、リーラが署名した文書は、ラジャーリを 1 人残らず殺せという命令だった。
サネラによるラジャーリの虐殺が始まる。
ラームとリーラの和解の試みは、こうして打ち砕かれてしまう。

和解の合意を裏切って悲惨な結果を招いたことにダンコールも後悔し、リーラとラームの結婚を本心から認める。

ラームはリーラの部屋に現れる。ダンコールが自分たちの結婚を許したことを知らない 2 人は、自分たちが愛し合ったことで憎しみの火に油を注いだと思い込み、自らの命を絶つ。
その後、ラジャーリとサネラが争うことは二度となかったとさ。終わり。

この作品については、バンサーリ監督が芸術性に懲りすぎたという評価もあるが、私に言わせれば芸術性以前の問題だ。はっきり言って、シナリオに問題があり過ぎる。

描かれていない部分が多過ぎる。たとえば、ラームとリーラの互いの一族の仕事に対する気持ちが少しも具体的に描かれていない。互いに一族の長になった後は、一族に和平を説いたり、和平に向けて行動を起こす場面が欲しいが、2 人ともその努力をしたようには見えない。2 人の結婚に反対するラジャーリおよびサネラ一族の具体的な描写も、ほとんど見られない。ババニやその仲間が最後にどうなったかも描かれていない。

この作品、私には合わない。細部を省略し過ぎており、まったく面白いと思えない。
その割に、前半部の愛が盛り上がるまでが長過ぎる。
バンサーリ監督が見て欲しいと思う部分と、私が見たいと思う部分が合わないのだろう。
もう一度見直してみて、改めて感想を述べたい。

2014年6月28日土曜日

「Ram-Leela」(ラームリーラ) -- その 5

91%翻訳完了。1万3593ワード中、残りは1223ワードくらい。
あと 1 日あれば完了する。
上映時間にすると、2 時間21分5秒まで終了。
最後の台詞(または歌詞)が2時間38分14秒のところだから、残り 17 分 9 秒。

実のところ、感想を書きそびれている。
正直、この映画、面白くないのだ。
前半を訳しているときに思った、、、ちっとも面白くないと。
後半になれは面白くなると思ったが、期待したほど盛り上がらない。

さて、ラームとリーラは駆け落ちし、追っ手に見つかってリーラは連れ戻される。
ラームは英雄とみなされてラジャーリ一族の族長になり、リーラはサネラ家の家名を地に落とした。

サネラ家では、母親のダンコールがリーラの結婚相手カルサンの両親をロンドンから呼び寄せるなど、結婚準備を着々と進めている。結婚相手の両親の前で恥をかかせたリーラの指をダンコールが切り落とすとか、ダンコールがカルサンのパスポートを取り上げたまま返さずに、事実上カルサンを誘拐しているとか、色んなことがありまして、、、、

しかし、リーラはラームが忘れられない。
「Laal Ishq」(真っ赤な愛)の中で繰り返される「メラ・ナーム・イシュク、テラ・ナーム・イシュク」(私の名前は愛、あなたの名前は愛)が耳に残る。


リーラは、義理の姉であるラシラに、ラームの本心を聞いてくるように依頼する。

ラシラ (リチャ・チャッダ)

リーラの兄カンジの妻。
印象に残る演技を披露してくれる。
ヒロインのディーピカ・パドコーンより存在感があるかも。

「初夜はラーム。その他の人だったら、私の最後の夜になる」 思い詰めているリーラ。 「私がラームに、あなたと寝てくださいって頼みに行くの?」 そう言いながらも、リーラの愛を理解するラシラ。 リーラの気持ちを伝えにラームに会いに行く。 ラームが居るはずの店にラームは居ない。 代わりに居たのはラームの友達。 ラームの友達は、ラシラを乱暴しようとするが、助けが入る。 「そんなことをして、ラームに知られたら全員殺されるぞ!」 ラシラがラジャーリに乱暴されそうになったことを知ったサネラ家は、報復としてラジャーリの女達を襲う。ラームの亡き兄メグジの妻ケッサールの命まで狙われる。

ケッサール (バルカ・ビシュト・セングプタ)

ラームの義理の姉。
わずかしか出てこない。

ラームは 1 人、騒動を治めるために、ダンコールに会いに出かける。 ダンコールは言う。 「こんなところまで乗り込んで来なくても、電話で話せたのに」 そう言って、電話番号を教える。 後日、ダンコールからラームに電話がかかってくる。 リーラとの結婚を認めるから、明日のナブラトリ祭の最初の夜に家に来いというのだ。 ラームは行くと返事するが、これはダンコールの策略。 さて、ナブラトリ祭となり、当然ダンスが披露される。 「Nagada Sang Dhol」(太鼓が響く): 「早く来て私の足かせを外して」といった内容の歌詞の歌だ。


この映画、バンサーリ監督作品だけに、どうしても「Devdas」(デーブダース)の「Dhola Re Dhola」(ドーラレドーラ)と比べてしまう。 「Dhola Re Dhola」が別格だと分かっていても、バンサーリ監督には、このレベルのダンスシーンを期待してしまう。しかし、バンサーリ監督も大変だ。「Devdas」や「BLACK」のような名作を作ってしまったばかりに、普通レベルの作品を作ったのでは誰も満足しなくなっている。

さてダンスが繰り広げられているときに、物陰から銃でラームを狙っている奴がいる。 ところが、ダンコールの甥のババニがその銃口を別の角度に向ける。 銃口の先には、ダンコール。

ババニ (グルシャン・デベア)

リーラの従兄弟。ダンコールの甥。
権力欲旺盛。族長の座を狙っている。

ダンコールが撃たれるが、一命は取り留める。
ババニはラジャーリへの復讐を主張し、今後はすべてを自分が采配すると言い出すが、ラシラに止められる。ラシラは、ダンコールの後継にリーラを指名。リーラがサネラの族長となる。

ダンコールが撃たれたとあって、サネラとラジャーリとの間に会議が持たれる。
ラームとリーラは、互いに族長として顔を合わせる。

ここまで来ると、この映画もなかなか面白い。
やっと、わくわくしながら見られるレベルになってきた。

しかし、上映時間は、ここまでで既に 2 時間を超えている。
脚本が悪いのか出演者が悪いのか、この映画、なかなか感情移入できず、映画の中の世界に入り込めない。台詞を訳しながら、少しずつ少しずつ見ているので、そう感じるのかもしれない。訳し終わって通して見たら、また感想も変わるだろう。

2014年6月24日火曜日

「Ram-Leela」(ラームリーラ) -- その 4

リーラは母親が決めた結婚相手を拒否し、ラームと駆け落ちしたものの、追っ手に見つかってしまい、無理やり連れ帰されてしまう。

それを見て、ラームの友人たちがラームに向かって言う。
「見事な報復だ、やったなラーム!」

この台詞(せりふ)は、一般的な日本人には理解しがたい。

しかし、インドではラームがリーラの家、つまりサネラ家に最大限の屈辱を与えたことになる。インドには、まだまだ保守的な考え方が残っていて、両親が決めた相手と結婚しなければならないと考える人も少なくない。それを拒否して娘が男と駆け落ちするなどは、一家、一族の恥以外の何でもないのだ。

インドやパキスタンでは、今も「名誉殺人」が後を絶たない。
最近も、「パキスタンで名誉殺人未遂、18歳女性を袋詰めで運河に投棄」とか「女性を撲殺し恋人男性の首を切断、インド北部で名誉殺人」てな事件があった。

イスラムだけではなく、ヒンズーでもカーストを越えて恋愛関係になり、駆け落ちでもしようものなら、親族一同が追いかけてきて、残虐な方法で命を奪うという事件が後を絶たない。

私の周りのインド人には日本人と結婚した女性もいる。親の了解を取り付ければ、「名誉殺人」などには発展しないし、そもそも日本人はカースト外だから、カーストが違うという理由で反対されることもない。

自由恋愛は悪である。これは、旧態依然としたインド社会の常識なのかもしれない。
世間手というやつだ。
しかし、誰もが自由恋愛に憧れている。

たとえば、インド人が本音で自由恋愛と悪だと考えているなら、自由恋愛をテーマにした映画など流行るわけがない。しかし、誰もが自由恋愛に憧れている証拠が、DDLJ であり、現在作業中の Ram-Leela だといえる。Devdas もそういった映画の 1 つかもしれない。

日本で言えば、まるで江戸時代の近松心中物ではないか。

ラームが敵の家の娘を誘惑して駆け落ちし、敵に大恥をかかせた、、、
つまり、ラームがサネラ家に報復したということになる。

う~む、インド映画は難しい。

でもって、村に帰ったラームはすっかり英雄扱い。
ラームの父は、ラームにこう言うのだ。
「敵のただ 1 人の息子を殺したうえ、敵の家名を地に落とした!」

そして、族長の座をラームに譲る。
「今日からお前が族長だ」

つまり、名誉殺人の背景にあるインド人のメンタリティーが理解できないと、この部分の進行は理解不能かもしれない。

う~む、インド映画は難しい。← 同フレーズ 2 回目

このように、扱っているテーマは相当に重いのだが、、、(以下、感想は映画の終了後に。言いたいことは山ほどあるが、最後まで見ないことには、的外れな感想になるに決まっているので)

敵の一族の女と駆け落ちしたら、敵をやっつけたことになる。
よく覚えておくように。

インドの保守的な文化は、まるでレイプしたら敵をやっつけたことになると言っているような、胸糞悪い文化だ。

2014年6月18日水曜日

「Ram-Leela」(ラームリーラ) -- その 3

スマホで連絡を取り合う仲になったラームとリーラ。
今度は、リーラがラームに会いに行くことに。

ラジャーリの支配地域に足を踏み入れたリーラ。
美しい!


この映画の本当のタイトルは「Goliyon Ki Raasleela Ram-Leela」(銃弾遊戯: ラームリーラ)。ということは、ラームが留守番をしていた店での出会いのバックに流れるこの曲、「Ishqyaun Dhishqyaun」(愛と銃弾)がこの映画のテーマ曲か?


曲はいいのだが振り付けが、、、と思うのだが、どうだろう?

DVD の英語字幕は歌詞にも付いているが、ずいぶん意訳してある。そのまま日本語に訳したら、元のヒンディー語の歌詞がまったく生かされなくなってしまう。そこで、できるだけヒンディーに忠実な英訳(たとえば、ここ)を探して、ふむふむ、そうかそうかと、ヒンディー語も参考にしながら訳を進める。それもまた、楽しい作業だ。

この後、警官のバンカが、リーラの兄カンジに金を貰って、銃弾を押収するためにラジャーリをガサ入れするが、ラームにアダルト ビデオを貰って、銃弾を押収せずに見逃すというエピソードが挿入される。さほど必要なエピソードとも思えないが、、、

さて、深く愛し合うようになったラームとリーラだが、リーラがラジャーリの支配地域へ行ったことを知ったダンコール(リーラの母親)は、リーラの結婚式を急ぐよう皆に命ずる。

その夜、2 人で駆け落ちしようということになるのだが、大きな木の上で 2 人が話すという、ずいぶん工夫したシーンが登場する。


木の下は池になっていて、水に反射した光がゆらゆら揺れるという、バンサーリ監督の得意とする幻想的な演出だ。この辺りの妖艶な雰囲気は Devdas(デーブダース)で既に完成の域に達しているが、Devdas に比べると予算が限られているためか、作りが粗い気がする。

翌日、市場のシーン。
ラーム、ラームの兄メグジ、それに仲間と市場で楽しんでいると、サネラの連中が現れる。
その中には、リーラの兄カンジもいる。

ラジャーリとサネラが出会えば、当然険悪な雰囲気になる。
ふとしたことから、銃の腕比べが始まる。
メグジがビール瓶を自分の肩に乗せて、カンジに言う。
「これを撃ってみろ」

カンジが撃った弾は、運悪くメグジの胸に命中してしまう。
それを見て逆上したラームは、カンジを撃ち殺してしまう。

ラジャーリとサネラのつまらない争いで、互いにたった 1 人の兄を亡くしたラームとリーラ。
リーラはラームに向かって、「なぜ、兄さんを殺したの! もう終わりよ」
「なぜ終わりなんだ」とラーム。「俺たちは、血によって結ばれるんだ」

ラームは言う。
「死ぬ理由はいくつもあるが、生きる理由は たった 1 つ。君だ」


「ここを離れよう。ここに居ると、憎悪に飲み込まれてしまう」

こうして、街を出た 2 人。しかし、警官やサネラの手下が 2 人を追っている。
「外へは出るな」
ラームは言うが、リーラは外で買い物をしている。
リーラが買ったのは、2 人の服、シンドール(花嫁の頭に付ける赤い粉)、結婚指輪。
2 人のささやかな結婚式をしようというのだ。

こいつ、何を考えているんだ! ラームは怒って言う。
「君は結婚式のことしか頭にないのか。新聞を見てみろ。ランジャールで暴動だ。ラジャーリの家や店が破壊された。なのに、君は!」
「私はラジャーリの苦しみも、サネラの苦しみも 区別しない。でなければ、あなたと逃げなかったわ」

ラジャーリとサネラの立場で激しく罵り合う 2 人だが、愛の力がそれを上回る。
その夜、2 人はささやかな結婚式を挙げることに。
「Ang Laga De」(私に触れて) -- あなたの身体で私の身体に触れてくれといった意味だろうと思うが、、、


アイシュと比べるのは酷か。あの人間離れした美しさには、誰も勝てない。

一方、追っ手は既に 2 人の居所を突き止め、2 人のもとに向かっている。
結婚式を終えて夜を過ごそうとしているところに、ラームの友達から電話。
宿屋の下に来ているという。
「なぜ、居所が分かった」とラーム。
「いいから、結婚祝いだ。ビール 1 杯だけ付き合えよ」

リーラを置いて行けないと言うラームを、無理やり外に連れ出す。
「乾杯!」
杯が進むにつれて、酔いがまわる。
「リーラのような女は他にいない。彼女は、ラジャーリを愛したただ 1 人のセネラだ。リーラのような女は他にいない... リーラのような女は他にいない...」
酔いつぶれたラーム。

朝になる。ラームのいない部屋。リーラが目覚めると、部屋にいるのはサネラの手下ババニ。
リーラを連れ戻しに来たのだ。
無理やりリーラの手を引いて、部屋を連れ出す。
「ラーム!」
酔いつぶれて寝ていたラーム。その声を聞いて目覚める。
川を挟んでリーラとラーム。
サネラの手下に連れ去られるリーラを見ても、川の向こう岸ではどうすることもできない。
ラームの友達連中も、この計画に加担していたようだ。

リーラは車に乗せられて連れ去られてしまう。
物語は急展開。いよいよ面白くなってきた!

はい、前半終了。ここで途中休憩。
後半が楽しみだ。

2014年6月16日月曜日

「Ram-Leela」(ラームリーラ) -- その 2

さて、街を 2 分して対立する 2 つの家。
1 つはラジャーリ家、もう 1 つはサネラ家。

上映開始から 30 分ほどで登場人物もそろってきたので、整理しておく。
何日も翻訳作業せずに映画から離れていると、誰が誰だったか忘れてしまうので。

まずは、ラジャーリ家。

ラーム (ランビール・シン)

対立を嫌う陽気な男。
いたずら心から、ホーリー祭の日に、敵のサネラが支配する
街に忍び込んで見物するうちに、リーラと知り合う。

メグジ (アブヒマニュ・シン)

ラームの兄。
子供を撃ち殺そうとした敵を叩き殺そうとしたところを
ラームに制止される。

こちらが、サネラ家。

ダンコール (スプリヤ・パタック)

サネラ家の女ボスで、リーラの母親。
スプリヤ・パタックがなかなかの好演。

カンジ (シャラド・ケルカル)

リーラの兄。リーラに結婚相手を連れてくる。

リーラ (ディーピカ・パドコーン)

今、一番乗っている女優といえば、この人。
アイシュも美しいが、この人も美しい。
こんな人が飲み屋にいたら、毎日でも通ってしまいそう。

ホーリー祭の日、ラームはいたずら心から、サネラ家が支配する街の見物に出かける。
そこで、リーラと出会う。

インド映画のこと。出会いに歌は欠かせない。
タイトルは、「Lahu Munh Lag Gaya」(私は血を味わった)。危険な香りが漂うセクシーな曲だ。


互いに惹かれあう 2 人。その夜、ラームはリーラに会いたい一心で、サネラ家に侵入する。

この映画の監督、サンジャイ・リーラ・バンサーリの真骨頂は、光と影の表現。
Devdas(デーブダース)や BLACK(ブラック)でもそうだったが、特に夜のシーンが絶品だ。


この映画も期待にたがわず、絵画のように美しいシーンが随所に登場する。

サネラ家に侵入したラーム。まるで、ロミオとジュリエット。
ラームは、リーラに向かって言う。
「俺に惚れるなよ。俺はラジャーリ、君の敵だ」
何と、ストレートな男だ。
「俺と結婚してくれ」
いくら何でも早すぎる展開だが、
「いいわよ」とリーラ。
「私、結婚の日をずっと待っていたの」
「いやに簡単に OK するんだな」とラームが言うと、
「あなたも、ずっと待ってたんじゃないの?」

なかなかのラブシーンだ。ディーピカ・パドコーンにこんなこと言われたら、どんな男もノックアウト間違いなし。一発 KO だ。

2 人はたちまち愛し合うようになり、スマホで連絡を取り合う仲に。

と、まあ、翻訳が進んだのは、やっとここまで。
まだ、物語は始まったばかり。
これからの展開に、乞うご期待。

2014年6月2日月曜日

「Ram-Leela」(ラームリーラ) -- その 1

ようやく、「Ram-Leela」(ラーム-リーラ)の字幕翻訳作業に取り掛かった。
今回、2 つのことに新しく挑戦することにした。
1 つは、Win8 マシンで作業すること。
もう 1 つは、何の予備知識もなく、翻訳作業に入ること。

Win8 マシンを買ったのは 1 年以上前。
起動画面を見ただけで使う気になれず、そのまま放置してあったもの。
さすがに、もったいないと思い、今回、使ってみることにした。
必要なアイコンをデスクトップ上に並べておけば、使い勝手は Win7 と同じ。

しかし、起動直後のアプリの画面は何のために表示されるのか。
あの画面のどこが便利なのか、今のところさっぱり分からない。

さて、映画だが、今、開始から 18 分あたりを翻訳している。

対立する 2 つの一族が近所に住んでいる。
相手と戦うために、女子供まで武器を持っているとのこと。
子供が発砲されたことから、2 つのグループ間で大喧嘩が始まる。

そのころ、ラームは、、、
歌とダンスとともに、ラームが登場。


歌詞から察するに、勇敢で心優しい男、それがラームだ。

で、ラームの仲間が敵を殺そうとするのを、ラームが止める。
大喧嘩のあと、仲間内でそれが問題に。

「甥が撃たれたんだぞ!
俺たちが戦っているのに、こいつは気楽に歌い踊っていた!」

と、まあ、そんな感じだ。
これから、何がどうなるのやら。


2014年5月5日月曜日

Chennnay Express -- Ready Steady Po

Chennnay Express を日本語字幕付きで通しで見た。
翻訳中にイヤというほど見ているので、ストーリーやせりふなどは細かいところまで知っているが、通しで見ると、また違って見えるから不思議だ。
翻訳直後の評価は「限りなく S に近い A」だったが、通しで見ると「ど真ん中の A」と若干下がってしまった。

映画で使われている曲は、どれも印象に残る好曲だが、この映画の CD には映画で使われていない曲が収められている。「Ready Steady Po」(位置について・用意・ドン)という素晴らしくご機嫌な曲だ。


「Ready Steady Po」は、映画のせりふの中に 3 度出てくる。
最初は、ラフールとミーナがビダンバ村にたどりついた後、タミル語を話せないラフールがミーナに、「さっさと行って、村人と話してきてくれ」と言った後、次のように言う。
「おお 女神様! ミーナマ様、今こそ行ってタミル語を話すときです。Ready Steady Po!」

2 つ目は、タンガバリにつかまって、逃げようとするとき。
「逃がしてくれ! Ready Steady Po! 頼む」

そして、実際にタンガバリから逃げ出すときに、ラフールがミーナに向かって
「Ready Steady Po!」

CD の中では最もお気に入りの曲なのに、映画で使ってもらえず、実に惜しい。

****************************************************
さて、次に取り組む映画だが、第一候補は昨年秋に公開された「Ram-Leela」(ラーム-リーラ)。本当のタイトルは「Goliyon Ki Raasleela Ram-Leela」と長ったらしい。
インドで大ヒットだから絶対に見ろと言われて、DVD を購入。

映像の魔術師、サンジャイ・リーラ・バンサーリ監督の作品なだけに楽しみだ。
主演女優は、Chennnay Express と同じディーピカ・パドコーン。今、インドで最も美しい女優さんだ。もちろん「Om Shanti Om」以来、私は彼女の大ファンだ。

まずは英語字幕で見るか、それともいきなり翻訳し始め、この先どうなるんだろうとワクワクしながら翻訳を進めるか。いつもの事ながら悩ましい。

2014年4月25日金曜日

『Chennai Express』 (チェンナイ急行)-- その 4

祖父の遺灰をラーメーシュワラムの海にまき、目的を果たしたラフール。

「これで永久にお別れね」とミーナ。
「僕とムンバイに来ないか? そこでなら、安全に暮らせる」
「あなたの家で私が何をしているのか、父が尋ねたら、あなたはどう答えるの?」
「それは、、、つまり、、、僕と君は、、、」
「ありがとう、ラフール」

煮え切らないラフール。
自分の気持ちを正直に言えよ、ラフール!
流れる曲は、「Tera Rastaa Chhodoon Na」(決してあなたを離さない)。


Meherbaani nahi tumhaaraa pyaar maangaa hai
好意はいらない、あなたの愛が欲しい
Tumhein manzoor hai tabhee to yaar maangaa hai
あなたが許してくれるなら、あなたの愛が欲しい
Gairon ke dar se, tere sheher se
あなたのことが心配だから
Hai kasam rishtaa todun na..
僕は約束する、2 人の関係は決して壊さない
Tera rastaa main chhodoon naa
決してあなたを離さない

Agar ye hai nahi, to phir jaanay pyaar kyaa hai
これが愛でないなら、愛って何なの?
Mere bheetar tu, kise parvaah aur kyaa hai
あなたが愛してくれるなら、他に何もいらない
Tera rastaa main chhodoon naa
決してあなたを離さない

Zindaa hoon lekin, wo baat nahi hai
僕は生きている、しかしもう何の意味もない
Haathon mein teraa, jo haath nahi hai
あなたは 手の届かないところに去っていく
Ishq kaa hai naam badaa, maine hai kiyaa kaam badaa
愛の力は大きい、僕は、あなたを愛した
Kar ke magar aadhaa chhodoon naa
僕には、やり残したことがある
Tere rukh se ye chehraa moDoon naa
僕はあなたを守り続ける
Tera rastaa main chhodoon naa
決してあなたを離さない

上の歌詞で、「僕にはやり残したことがある。僕はあなたを守り続ける」がこの後の展開のキーワード。ビダンバ村で新婦を抱き抱えて 300 段の階段を上る儀式の後の村人の言葉「ミーナ、彼は生涯、あなたを守るだろう」とも重なってくる。

ラーメーシュワラムから車で帰ってくる 2 人。ミーナは眠っている。
車が到着したのは、コンバン村!
「なぜ、ここへ来たの!」
「道を間違えたわけじゃない」とラフール。

2 人を取り囲む村人。ミーナの父親もいる。
ラフールはミーナの父親に向かって言う。
「あなたは、お嬢さんを愛していないのですか?
あなたは、お嬢さんが嫌がっている相手と結婚させようとしています。
しかし それはお嬢さんの人生を犠牲にすることです。
あなたは、父親失格です」

タンガバリに向かって
「お前は何と言った?
"お前は生きてここに来たが、生きてここからは出られない"
"お前をバラバラに切り刻んでやる"
そうだな! 僕は戦う! お前と戦う!」

そして、村人全員に向かって
「お前たちと戦う! 誰とでも戦う! 必要なら村人全員と戦う! ミーナのために。
なぜなら、ミーナを愛しているからだ!」
やった、ラフール! よく言った。

村の連中がラフールに襲いかかる。ラフールはスコップを振り回して反撃する。
そして、タンガバリとの 1 対 1 の戦い。
最初はボコボコにされるが、、、


映画は、ラフール自身のナレーションで終わる。
「僕がコンバン村の英雄になれたのは、すべて祖父のお陰だ。
祖父は僕を目覚めさせてくれた。ラーメーシュワラムで遺灰をまいたときに。
これで 物語は終わりだ。
乗り違えた列車、チェンナイ急行が僕に正しい道を教えてくれた。
そして、今日、ミーナにはっきりと言う。心から愛していると」

これぞ、インド映画!
シャールク・カーンの魅力が十分に引き出されている。
ストーリーも、歌も、ダンスも、すべてがよくできた映画だ。
いい映画を見せてもらった。大満足だ。

2014年4月23日水曜日

『Chennai Express』 (チェンナイ急行)-- その 3

ミーナの父親の車を奪ってコンバン村を脱出したラフールとミーナ。
車が故障したり、故障したその車が川に沈んでしまったり、
喧嘩してお互いに別の道を行こうとしたり、、、、


しかし、運命の神は再び 2 人を結びつける。
2 人でたどり着いた村は、ビダンバ村。
村では結婚式が行われている。

ミーナが村人と何やら話し、ラフールを見る。
この前は、首を縦に振ってひどい目に会ったラフール。
二度と首を縦に振るまいと決めている。
首を横に振ると、それを見た村人はにこやかに笑っている。

またミーナが村人に何やら話し、ラフールを見る。
今度はラフール、首をぐるぐる回す。
すると、村人がラフールのところに集まり、ラフールを担ぎ上げて家に運び込む。

「何がどうなっているんだ?」
「駆け落ちしてきたと言ったの」とミーナ。
「あなたは私を置き去りにして、行くはずがないと言ったの」
ラフールが首を横に振ったときだ。
「それから、あなたが旅に疲れて、めまいがしていると言ったの」

こうして、村人に受け入れられた 2 人。
翌日、新婚夫婦のための儀式が行われる。
村の新婚夫婦に加えて、ラフールとミーナの 2 人も儀式に参加することに。
儀式というのは、新郎が新婦を腕に抱えて、寺院まで 300 段の階段を上がるというもの。


途中で降ろすことなく寺院まで妻を運んだら、夫婦の絆が深まると信じられている。
ラフールは、ミーナを寺院まで運ぶ。
村人は言う。「ミーナ、彼は生涯、あなたを守るだろう」

儀式の締めくくりとして、結婚の印であるクムクム(赤い粉)をラフールがミーナの頭に付ける。日本でいえば、三々九度の杯を交わしたようなものだ。こんな状況になれば、ミーナだけじゃなく、女性なら誰でも心が熱くなるよね。


そして、「Titli」(ティトリ:蝶)が流れる。美しい曲だ。特に、歌詞が素晴らしい。


Ban Ke Titli Dil Uda Uda Uda Hai Kahin Door
ばん け~ てぃとぅり~ でぃる うだ うだ うだ へ~ かひん ど~る
私の心は 蝶のように飛んでいく

Chal Ke Khushboo Se Juda Juda Juda Hai Kahin Door
ちゃる け~ くしゅぶ~ せ じゅら じゅら じゅら へ~ かひん ど~る
私の心は 遠くの香りに舞い降りる

Haadse Yeh Kaise, Ansune Se Jaise
は~どせ いぇ けいせ あ~んすね せ じぇ~いせ
こんなふうに 光を感じたのは初めて

Choome Andheron Ko, Koi Noor
ちょ~め あんへ~ろん こ こい ぬ~る
暗闇が光に口付けされたみたい

Ban Ke Titli Dil Uda Uda Uda Hai Kahin Door
ばん け~ てぃとぅり~ でぃる うだ うだ うだ へ~ かひん ど~る
私の心は 蝶のように飛んでいく

好きな曲なので、機会があればカラオケ動画でも作ってみたい。
さて物語の続きだが、この曲を境に 2 人はてっきり愛し合うことになると思ったが、見事に裏切られた。ラフールは、村人に何も告げずに村を出ると言い出す。ミーナが難色を示すと、ラフールが言い放つ。

「そうか、なるほど。君は僕の妻を演じ始めてから、それを楽しんできたんだ。いいか、君の頭にクムクムを付けたからといって、本当に結婚したわけじゃない」
何と、ひどいことを言う奴だ。

ラフールは、ミーナを残して村を出てしまったものの、若干後悔の念も。
やはりミーナのことが気になり、村に戻ることに。

シーン変わって、ラフールの勝手な行動に愕然としたミーナが柱に寄りかかって座っている。
そこへラフールが戻ってくる。
「帰ってきたの」、そう言ってミーナが振り返ると!


2 人はタンガバリに捕まってしまうが、、、
DVD 買って見ましょう! 絶対に面白い!
アクション コメディーの真骨頂、笑えるシーンがそこら中に散りばめられている。

タンガバリが鎌を持ってラフールに襲い掛かろうとしたそのとき、村人が助けに入る。
逃げろ! 村人が車のキーをラフールに投げる。
しかし、ミーナは車とは違う方向に走っていく。
ミーナは、ラフールの祖父の遺灰が入った壷を取りにいったのだ。

タンガバリから逃げることに成功した 2 人。
ラフールの祖父の遺灰をラーメーシュワラムの海にまきにいくことに。
ラフールの気持ちにも変化が。

ラーメーシュワラムへの車の旅。流れる曲は、前回紹介した「Kashmir Main Tu Kanyakumari」(カシミールは私、あなたはカンヤークマリ)。


この曲も、本当にいい曲だ。歌詞が面白い。DVD の英訳は、かなり意訳してあったので、できるだけ直訳調の英訳を探し出して、自分なりに日本語に訳してみたのが下だ。

時々 2 つの道は並んで走る
まるでゴムでくっついているように

時々災いが倍になる
2 人で歩くと災いも半分に

あなたの私、私のあなた、2 人の物語は変化にあふれてる
2 人の物語は 時々停止する

カシミールは私、あなたはカンヤークマリ
北の端と南の端が一緒になった

カシミールはあなた、私はカンヤークマリ
どんなときも 2 人はパートナー

こうして、2 人は聖地ラーメーシュワラムに着く。
祖父の遺灰をまくラフール。


40 歳にもなって人生の目的も、本当の愛も知らなかったラフールの心に変化が。
物語は、いよいよクライマックスへ。
(続く)